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    <title>食卓ON楽</title>
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    <title>涙そうそう/BEGIN</title>
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    <summary>153回目の今日お届けしたのは、「涙そうそう／BEGIN」でした。 「もともとは...</summary>
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        153回目の今日お届けしたのは、「涙そうそう／BEGIN」でした。


「もともとは、栄昇がライブのMCで&quot;俺たちも「いか天」に出るよ&quot;と言った冗談が、キッカケだったそうです」。
1988年12月、沖縄県・石垣島出身の、比嘉栄昇、島袋優、上地等の３人が東京で結成したバンド「BEGIN」。翌年、1989年に、東京・世田谷のライブハウス「ガソリンアレイ」のライブ中に、
比嘉栄昇が言った、そのひと言が、三人の運命を変えていきます。

当時、社会現象と言えるほど人気を集めていた、TBSテレビのオーディション番組『平成名物いかす!!バンド天国』、通称いか天。　BEGINは、当時、島袋と上地が住んでいたアパートの部屋で録画した応募用ビデオを番組に送り、1989年9月、&quot;いか天&quot;に、本当に出演することになります。

「「いか天」に出場した時、BEGINは、彼らがバンド活動を始める原点となった、70年代の洋楽やブルースのカバーと、彼らが影響を受けた音楽に、沖縄県出身アーティストならではの、島唄的な解釈を加えて作ったオリジナル曲を中心に演奏していたそうです。オリジナル曲の完成度の高さは、いか天の審査員を始め、TVを観ていた音楽関係者を驚かせ、番組OA翌日には、彼らの下へメジャー契約のオファーが次々と舞い込んだそうです」。
現在、BEGINの担当ディレクターを務める、前田さんは当時についてこう語ります。

その後、「いか天」で５週連続勝ち抜きを果たしたBEGINは、プロ・デビューのチャンスを掴み取って、翌1990年3月、1stシングル「恋しくて」をリリースするのでした。

1990年3月、BEGINは、日産自動車のCMソングにも起用された1ｓｔシングル「恋しくて」をリリースします。「1stシングルのリリース直後、彼らは、&quot;自分達が作った曲が、プロのストリングスが加わるだけで、まるで別物のように重量感溢れる曲に生まれ変わる&quot;そんなプロの演奏家の凄さに驚くと同時に、&quot;本当に自分達は、こんな世界でやっていけるんだろうか&quot;という不安を抱いたそうです」。
担当ディレクターの前田さんは、BEGINのデビュー当時の様子についてこう語ってくれました。

BEGINの1stシングル「恋しくて」は、彼らが「いか天」のグランドチャンピオンに輝いた話題と、日産自動車のCMソングに起用されたこともあって、セールスチャート最高位4位を記録し、およそ４ヵ月近くもチャートにランクインし続けるロングヒット曲となります。さらにBEGINは6月に、1stアルバム『音楽旅団』を発売し、その直後には全国を回るライブツアーも行います。
順風満帆に見えたBEGINの音楽活動でしたが、その一方で三人は、アマチュア時代と違って、曲作りやライブも自分達３人の力だけではできず、プロの作詞家や作曲家、サポートメンバーの力を借りないとできないという、厳しい現実の世界に、自信を失いかけていきます。

1992年3月、BEGINは、失いかけた自分達の自信を取り戻すために、新たな試みをスタートさせます。
「彼らは、常に&quot;僕らは「いか天」で世間から注目され、デビューが決まって、すぐに売れ、あれよあれよという間に色んな事が動いていったから、明らかに音楽経験が不足している&quot;と言っていたそうです。そこで彼らは、自分達が感じていた経験不足を補うために、東京・二子玉川アレーナホールでのマンスリーライブを始めたんです。バンドスタイルではなく、彼ら３人だけのライブを行うことで、少しずつ、自信を取り戻していったんです」。

その後、所属レコード会社のレーベルが無くなるという不運に見舞われながらも、ライブを通して多くの人達と触れ合って、自信を取り戻したBEGINは、所属レコード会社を移籍し、デビュー当事とは違った、地道な音楽活動を続けていきます。そしてデビューから6年が経った、1996年7月、10枚目のシングルとして「声のおまもりください」をリリースするのでした。
1996年7月に発売した、BEGIN10枚目のシングル「声のおまもりください」は、当時人気を誇っていたJリーガー、前園選手が出演していた「アステル東京」のCMソングに起用され、５年ぶりにセールスチャートにランクイン、最高位36位を記録します。
続いてBEGINは、スタッフと一緒に１台の楽器車に乗り込んで日本全国を回るライブツアーを始め、ライブバンドとしても、着実に力を付けていきます。同時に、&quot;セールスというものは、音楽をやっていく上で大した問題ではない。もっと楽に音楽を楽しみたい&quot;といった気持ちを抱くようになっていきます。

1997年、古巣のレコード会社に戻ったBEGINに、翌年、1998年、ひとつの出会いが巡ってきます。
「以前から、イベントやTVで一緒になる機会があって、仲良くしていただいていた森山良子さんのラジオ番組にBEGINがゲスト出演した際、森山さんから、&quot;アルバムに収める曲を一曲書いて欲しい&quot;という依頼があったんです。三人は大先輩のために曲が書ける、といううれしい思いと同時に、&quot;俺達が書いた曲を気に入ってもらえるかな&quot;という不安も持ったようです」。
「曲のベースとなったのは、優が書きかけていたメロディです。それを二人に聴かせ、3人でアイディアを膨らませて、栄昇がサビを加えたそうです。最後に、この曲を聞いて、沖縄に住む人達の事が頭に浮かんだという栄昇が、曲の最後の小節に、沖縄のわらべ唄の歌詞に使われていた一つの言葉を吹き込んで、曲を森山さんに渡したんです」。

「曲を聴いた森山さんは、栄昇が吹きこんだこの言葉に&quot;涙がぽろぽろこぼれる&quot;という意味があることを知って、若くして亡くした森山さんのお兄さんの事を思いだし、歌詞を書いたそうです」。
こうして、BEGINがメロディを作って、森山良子が歌詞を書いた曲は、1998年11月に発売された、森山良子のアルバム『TIME IS LONELY』に収められます。その後、森山良子がライブやイベントで歌って、多くの人達に親しまれることになります。そして、2000年3月、曲を作ったBEGINが、デビュー10周年記念のシングルとして、この曲「涙そうそう」をリリースするのでした。

2000年3月に発売された、BEGINの「涙そうそう」は、発売当時、セールスチャートこそ最高位159位と振るわなかったものの、後に同じ沖縄出身の夏川りみや、ハワイの歌手もカバーするほどのメジャーな歌へと成長していきます。
「BEGINは、この歌はあくまで森山良子さんの歌だと思っています。森山さんが作って歌い、多くの人達が親しむようになって、次にBEGIN、そして夏川りみが歌って、もっと広がっていきました。
&quot;自分達は、あくまで裏方として曲を作っただけ&quot;という気持ちなんです。2003年に、NHK紅白歌合戦に出場し、森山さん、夏川さん、そしてBEGINが一緒に&quot;涙そうそう&quot;歌った時、彼らは曲が成長した事に感謝し、&quot;森山さんに恩返しができた&quot;と言っていました」。最後に、前田さんは、こう話してくれました。

先輩のために綴ったメロディが、人と場所と時間を越えて、J-POPの名曲に育った瞬間でした。

今日ＯＡした曲目
Ｍ１．Wonderful Tonight／ＢＥＧＩＮ
Ｍ２．恋しくて／ＢＥＧＩＮ
Ｍ３．声のおまもりください／ＢＥＧＩＮ
Ｍ４．涙そうそう／ＢＥＧＩＮ

        
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    <title>VOL.153「フレスタ ブレッド」</title>
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    <published>2010-09-03T07:25:00Z</published>
    <updated>2010-09-02T10:23:33Z</updated>
    
    <summary>フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすす...</summary>
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        <category term="今週のBimi Smile" />
    
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        <![CDATA[フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすすめするBimi Smileブランド。
きょうは、これまでよりも、しっとり柔らかくリニューアルした、Bimi Smile「フレスタ ブレッド」をご紹介します。
　
Bimi Smile「フレスタ ブレッド」は、生地を低温で長時間発酵させることで、口の中で溶けるような、柔らかく、しっとりとした食感を実現したもので、風味の豊かさも特長の食パンとして、2年前の2008年から販売されています。
　
今回、原料の配合を変えるなど、製法の一部に工夫を凝らして、これまでより、さらに、しっとり柔らかいBimi Smile「フレスタ ブレッド」へと生まれ変わりました。
もちろん、乳化剤やイーストフードなどの添加物を使っていませんので、安心して召し上がっていただけます。
　
このBimi Smile「フレスタブレッド」、生地の柔らかさを是非味わっていただきたいので、まずは、そのまま手にとって、指でちぎって口にほうばってみてください。しっとりと、口の中でとけるような食感を楽しむことができるはずです。
それから、しっかりと焼き上げたトーストもおすすめです。パンの耳までサクッとした歯ざわりと、その後、口の中に広がる香ばしさは格別ですよ。

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    <title>「1/6000000000.featC&amp;K/九州男」</title>
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    <published>2010-08-27T07:25:44Z</published>
    <updated>2010-09-02T10:32:43Z</updated>
    
    <summary>152回目の今日お届けしたのは、「1/6000000000.feat C&amp;K／九...</summary>
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        152回目の今日お届けしたのは、「1/6000000000.feat C&amp;K／九州男」でした。



1978年10月、長崎県に生まれた九州男は、彼が19歳の時に、レゲエと出会います。
「彼は、地元の美容室で美容師として働いていたんですが、仕事に対する興味が無くなって美容室を辞め、友達の誘いで度々レゲエのイベントに遊びに行くようになったんです。遊ぶに行く内に、ボブ・マーリーはもちろん、新旧問わずレゲエの持つ魅力に取りつかれた彼は、ただ単にレゲエを聴くだけでは満足できなくなって、いつの間にか自分がマイクを持って歌うようになっていったそうです」。やがて九州男は、地元・長崎のクラブで活動していた、音楽チーム「一撃SOUND」のメンバーに声を掛けられ、クラブDJとして活動し始め、21歳の時に、単身、レゲエの本場・ジャマイカへ渡ります。

「約2年間のジャマイカでの生活は、彼のレゲエに対する考え方を変えたそうです。それまで、彼は、ノリの良い、サウンドを重視した曲を作っていたんですが、ジャマイカでの日々の生活の中でレゲエに触れ、&quot;一番大切にしないといけないのは、サウンドではなく、言葉の大切さ&quot;だという事に気づいたそうです。そこで彼は、日本に帰国した後、それまで彼が作っていた曲を全て封印し、改めて一から曲作りに取り組むようになったそうです」。日本に帰国してからも、九州男は、度々ジャマイカに渡って、自分の音楽を模索します。

2005年には、音楽活動の拠点を横浜、東京に移して、積極的にライブ活動に励むようになります。
こうして、ライブ活動をする中で、クラウンレコードのスタッフの目に留まった九州男は、2007年、クラウンレコード傘下のインディーズレーベルから、1stミニアルバム『こいが俺ですばい』をリリースするのでした。

2007年6月、九州男は、クラウンレコード傘下のインディーズレーベルから、1ｓｔミニアルバム『こいが俺ですばい』を発売します。
「メジャー契約の前に、敢えてインディーズレーベルからミニアルバムを発売したのは、まずは、九州男の音楽を、多くの人達に知ってもらうために、全国を回る時間を作るためでした。ＴＶ、ラジオ、音楽雑誌など、あらゆるメディアを回ると同時に、CDショップなどでインストアライブを行って、多くの人達に彼の音楽に、直に触れてもらいたかったんです」。
クラウンレコードの小島さんは、インディーズデビューとなった経緯について、こう語ってくれました。
九州男の、地道なプロモーションの積み重ねに加えて、このミニアルバムに、湘南乃風のRED RICEとのコラボレーション曲を収録したことで、ミニアルバム『こいが俺ですばい』は、セールスチャートのインディーズ部門で、5週連続1位を獲得し、発売から僅か３ヵ月で約8万枚の売上を記録します。

「湘南乃風のRED RICEさんとのコラボレーションは、九州男がジャマイカに滞在中に住んでいたアパートで、RED RICEと偶然出会ったことがきっかけなんです。初めはお互い相手がどんな仕事をしているのかも知らずに、ただ同じ日本人同士という事だけで話をしている内に意気投合し、その後に、お互いに、ミュージシャンであることが分かったそうです。
２人は帰国後も交流を続け、彼が1stミニアルバムを作る事になった時に、&quot;せっかくのチャンスだから&quot;という事でコラボレーションが実現したんです。初めは、九州男の存在すら知らなかった人も、湘南乃風のRED RICEが参加しているという理由だけで、アルバムを買って、九州男の音楽の素晴らしさに出会って、ファンになっていった人も多いんです。ジャマイカでの出会いが、九州男のアルバムのセールス売上に大きく貢献したと言っても間違いないでしょう」。
小島さんは、当時についてこう振り返ります。

勢いに乗った九州男は、今度は、その年の夏の音楽イベントで知り合ったmihimaru　GTのhirokoとのコラボレーションした曲を収めた、2ndミニアルバム『こいも俺ですばい』を、11月に発売します。

2007年11月、九州男は、２ndミニアルバム『こいも俺ですばい』を発売します。
「１stミニアルバム『こいが俺ですばい』が約20万枚近いセールスを記録し、2ndミニアルバム『こいも俺ですばい』も、チャート初登場5位を記録しました。ある程度は売れるとは思っていましたが、この結果には正直驚きました。湘南乃風のRED RICEや、mihimaruGTのhirokoとのコラボレーションも大きかったと思いますが、ファンの心を掴んだ、一番の理由は彼が書く歌詞でした」。
「九州男の曲は、歌詞の言葉数が多いんです。普通、歌詞は言葉をリピートして、言葉数を増やすパターンが多いんですが、彼の場合、言葉のリピートはほとんどなく、表現力を高めようとして言葉数が多くなってしまうんです。それが結果的に、曲のストーリー性を高めて、彼の曲を聴いた人から多くの共感を得ることに繋がったんだと思います」。
小島さんはこう話してくれました。
こうして、2枚のミニアルバムで多くのファンを掴んだ九州男は、翌2008年2月、クラウンレコードから、メジャー1stシングルをリリースすることが決まります。
「メジャー1stシングルをどの曲にするのかは、彼と出会った直後の2007年春に、すでに決めていました。それは、彼が、約2年に渡るジャマイカ滞在から、日本に帰国して、初めて作った曲でした」。
「日本に帰国した彼は、一度、故郷の長崎に戻ったんですが、大好きな音楽を諦めることができず、一念発起して、2005年に横浜に移り住んで、アルバイト生活をしながら、大好きな音楽を歌う道を探していたんです。
朝から晩まで、仕事に追われながらも、夜はクラブで大好きな音楽に触れていた。そこで、お互いの知人から紹介されて出会ったのが、湘南・横浜を中心に活動していた、ボーカル・ユニットの「Ｃ＆Ｋ」だったんです。
お酒を飲みながら話をする内に、九州男とC&amp;Ｋの３人は意気投合し、一緒に曲を作ることを決め、数日後、九州男のアパートで、九州男がすでに作っていた曲をベースにして、曲作りが始まったんです」。

こうして、既に九州男のライブでは歌っていた曲のアレンジを変え、歌詞も、カップルを時間軸で追っていくストーリー性を高めるために、新たに言葉を付け加えて生まれ変わったこの曲は、2008年2月に、九州男の1stシングル「1/6000000000 feat.C&amp;K」として発売されます。

2008年2月に発売された、九州男の1stシングル「1/6000000000 feat.C&amp;K」は、セールスチャート初登場12位、約10万枚を超えるセールスを記録。音楽配信でも40万ダウンロードを達成します。
「九州男が、単身、レゲエの本場ジャマイカに渡って見つけた、レゲエ・ミュージックが持っている本来の意味。レゲエ・ミュージックの原点とも言える、言葉の美しさに気付いたからこそ、彼はこの曲に巡り合えたんです。そして彼は、この曲が売れることで、不安と、戸惑いを感じながらも、それよりも大きな、自分の音楽に対する揺るぎない自信を、この曲で掴んだと思います」。最後に、小島さんは、こう話してくれました。

レゲエの本場で見つけた魂が、J-POPラブソングの名曲に生まれ変わった瞬間でした。



今日ＯＡした曲目
Ｍ１．ノー・ウーマン、ノー・クライ／ボブ・マーリー
Ｍ２．出会い。。／ｆeat.RED RICE(湘南乃風)、BIG RON／九州男
Ｍ３．手紙。。／feat.hiroko(mihimaruGT)／九州男
Ｍ４．1/6000000000 feat.C&amp;K／九州男

        
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    <title>VOL.152「北海道大豆油揚げ」</title>
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    <published>2010-08-27T07:25:00Z</published>
    <updated>2010-08-26T09:11:37Z</updated>
    
    <summary>フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすす...</summary>
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        <category term="今週のBimi Smile" />
    
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        <![CDATA[フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすすめするBimi Smileブランド。
きょうは、国産大豆のみを原料にして作った、Bimi Smile「北海道大豆油揚げ」をご紹介します。

表面はパリっとこんがりキツネ色、中はふんわり、そして大豆本来の甘味を味わえる、Bimi Smile「北海道大豆油揚げ」は、北海道産の大豆"スズマル"を原料に使っています。"スズマル"は、大きさは、小豆ほどで少しこぶりながら、イソフラボンや大豆タンパクを豊富に含んでいるのが特徴です。この"スズマル"を、中国山地の中腹、庄原市東城町、帝釈峡近くにある工場で、帝釈川から流れる良質な水と、にがりを加えて、まずは木綿豆腐を作ります。もちろん、この時、保存料や、消泡材などの添加物は使っていません。

次に、この木綿豆腐を、薄く小さく切って圧縮し、水を抜いて油揚げの生地を作ります。そして、できあがった油揚げの生地を、最初は低めの温度の油で揚げます。こうして、およそ３倍近くまで膨張した生地を、今度は、余分な水分を飛ばし、表面を硬くして、収縮を防ぐために、高温の油でもう１度カラっと揚げたら、油揚げのできあがりです。
　
Bimi Smile「北海道大豆油揚げ」は、フレスタ各店舗のお豆腐コーナーで販売しています。　
お味噌汁や煮物の具としてはもちろんですが、油揚げの両面をフライパンで軽く炙った後、一口大の大きさに切り、ポン酢につけて、おつまみ感覚でお酒と一緒に頂くのもおすすめですよ。

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    <title>「上海ハニー／ＯＲＡＮＧＥ　ＲＡＮＧＥ」</title>
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    <published>2010-08-20T07:25:00Z</published>
    <updated>2010-09-02T10:33:22Z</updated>
    
    <summary>151回目の今日お届けしたのは、「上海ハ二ー／ORANGE RANGE」でした。...</summary>
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        151回目の今日お届けしたのは、「上海ハ二ー／ORANGE RANGE」でした。

「僕が沖縄で経営していたインディーズ・レコードの専門店「スパイス・レコーズ」に、メンバーが１本のデモテープを持ってきたんです。そのテープは、スタジオで録音されたものではなく、恐らくメンバーの誰かの部屋で、マイクを立てて録音されたものだったんでしょうか、録音状態が最悪の仕上がりだったのを覚えています」。
メンバーとの出会いについて、オレンジレンジ所属事務所の崎原社長は、当時についてこう振り返ります。

1999年3月、中学校の卒業パーティで、ギターのNAOTOとドラマ―のKATCHANは、仲間達と結成したバンドでステージに立ち、それをキッカケに、二人は本格的にバンド活動をスタートさせます。
その後、二人は高校進学後も、メンバーチェンジを繰り返しながらバンド活動を続け、2001年3月に、同級生でベースのYOHと、ボーカルのHIROKIとYAMATO、さらにYOHの弟でラップ好きのRYOを加えた、６人組バンド「ORANGE RANGE」を結成します。ORANGE RANGEは、アメリカ軍基地内にあるライブハウスで演奏したり、ストリートライブを積み重ねながら、徐々にライブの本数を増やし、着実に動員を増やしていきます。
「彼らは、デモテープを持ってきた以降、度々お店に遊びに来るようになって、ある日、お店主催のライブイベントに出演してもらったんですが、彼らは、自分達の出番が終わった後も、最後まで残ってイベントの後片付けを手伝ってくれたんです。ほんとに素直で、いい子達で、僕は、少しずつ彼らとの付き合いを深めるようになったんです」」。

2002年2月、ORANGE RANGEは、崎原社長の薦めで、インディーズから沖縄限定ミニアルバム『オレンジボール』を発売します。
「彼らは、山嵐や、rage against the machineなど自分達が好きな音楽のコピーをレパートリーの中心にしていましたが、少しずつオリジナル曲も作るようになって、ライブで演奏するようになっていたんです。そこで僕は、&quot;高校卒業記念にアルバムを作ろう&quot;と彼らに声を掛け、CDを作ることにしたんです。当時、すでに、彼らが生み出すグルーブ感とセンス溢れるメロディ、そしてHIROKI、RYO、YAMATO３人のボーカルによる、軽快なラップのかけあいは、沖縄では話題になり始めていて、ライブも、常に200人程度は集まるようになっていたんです」。
「アルバム『オレンジボール』がリリースされ、さらに、ライブ動員が増え始めると、メジャーレコード会社が続々とデビューの話を持ってくるようになりました。ちょうど、「モンゴル800」や「HY」など、沖縄に在住しながら活動を行っていたバンドが、全国ヒットを生み、成功し始めた時期とも重なって、次の沖縄バンドとして、彼らにも目がつけられたんです」。音楽レーベルからの熱い視線が集まる中、ORANGE RANGEは、アルバムに続き、今度はシングル「ミチシルベ」をリリースします。

2002年8月、ORANGE RANGEは、インディーズからシングル「ミチシルベ」をリリースします。
「シングル「ミチシルベ」をリリースした直後、東京、大阪、名古屋のライブハウスを回るツアーをやったんです。沖縄でライブをやると、200人近く集めていた彼らも、この時の動員はまだまだ全然ダメで、東京では10人、名古屋ではたった２人の前でライブをやったんです。しかし、彼らは、特に気にする訳でもなく、自分達の大好きな音楽を演奏しながら、全国を回れることを楽しんでいました」。
　その後、沖縄本土復帰30周年を記念した「オキナワミュージック・フェスティバル」など、沖縄で行われた様々なイベントにも出演し、沖縄では、若手を代表するバンドへと成長していったORANGE RANGEは、レコード会社各社の争奪戦の上、遂にソニー・ミュージック・レコーズとメジャー契約を結びます。
「ORANGE RANGEは、ソニーとメジャー契約を結んだ後も、仕事のベースは沖縄に置くことにしたんです。
それは、自分達がリスペクトしている沖縄在住のアーティスト「モンゴル800」を見習って、メンバーの家族や友人がいる沖縄を拠点に音楽活動することで、リラックスして音楽作りに取り組むことができる。開放感溢れる、ORANGE RANGEならではの音楽が作ることができると考えたからなんです。」
こうして、地元沖縄をベースに、音楽活動を続けていくことを決めたORANGE RANGEは2003年2月に、地元沖縄で、本人達主催の音楽イベント「テレビズナイト」を開催。彼らが持っている音楽志向さながらに、様々なジャンルのアーティストが集って行われたこのイベントには、約1000人近い人が集まり、ORANGE RANGEの沖縄での人気は、一気に沸騰していきます。
　そして、その勢いのまま東京に乗り込んだORANGE RANGEは、2003年春、東京・原宿ラフォーレ前で、ゲリラライブを行うなどして話題を振りまき、音楽雑誌にも取り上げられるようになります。沖縄から、また個性的なグループが登場したことに、音楽ファンたちの期待が高まる中、メジャー1stシングル「キリキリマイ」は、6月、リリースされるのでした。
「この曲は、彼らがインディーズ時代に作っていた曲で、彼らのライブでは馴染み深い曲でした。まずは、この曲を聴いてもらって、沖縄以外の人達にORANGE RANGEがどんな音楽を演奏するバンドなのかを分かってもらうために、この曲を1stシングルにしたんです」。
シングル「キリキリマイ」は、セールスチャート最高位50位、約2万枚のセールス結果に終わりますが、彼らは、そのセールス結果に対しても、特に、悲観的になることなく、立て続けに、翌7月に2ndシングルを発売します。
「2ndシングルとして予定していた曲も、1stに続いてインディーズ時代に作っていた曲で、当時、SMAPなどを手掛けていたプロデューサーのシライシ紗トリさんが、アレンジを担当してくれました。シライシさんには、1stシングルからプロデュースをお願いしていたんですが、夏に向けて、みんなの気持ちが色んな面で盛り上がってくる時期に発売するシングルなので、聴く人に、いかにインパクトを与えるかを、メンバー、シライシさん、そして我々スタッフも考えていました。そして、もともとあった曲に、沖縄らしさを取り入れることを考え付いたんです」。
「それは、具体的には、沖縄民謡によく見られる、掛け声や拍子を、曲のリズムに合わせて入れることでした。レコーディング途中に、突然湧いたひらめきを取り入れたら、これが&quot;ピタリ&quot;とハマったんです」

こうして、2003年７月、ORANGE RANGEの2ndシングル「上海ハニー」は発売されます

2003年7月に発売された、ORANGE RANGEの2ndシングル「上海ハニー」は、ノンタイアップながら、セールスチャート最高位５位、約24万枚のセールスを記録します。
「2ndシングル「上海ハニー」は、発売直後に九州のFMラジオ局各局のパワープレイを獲得することが出来ました。
キャンペーンで初めて福岡に行った時に、溢れんばかりの人たちが、彼らを観にやって来たことに、メンバーみんなで驚いたことが印象に残っています。夏に向けて、気分が高揚する時期に、アッパーチューンなこの曲は、盛り上がるのにピッタリだったんですね。当然、ライブでもこの曲を演奏すると盛り上がりました。彼らにとっても、メジャーの世界で生きていくための大きな自信に繋がった曲ですね」。
最後に、崎原さんは、こう話してくれました。

沖縄出身の彼らならではアイディアを取り入れた歌が、J-POPの人気グループを生み出した瞬間でした。

今日ＯＡした曲目
Ｍ１．山嵐／山嵐
Ｍ２．ミチシルベ／ＯＲＡＮＧＥ　ＲＡＮＧＥ
Ｍ３．キリキリマイ／ＯＲＡＮＧＥ　ＲＡＮＧＥ
Ｍ４．上海ハ二－／ＯＲＡＮＧＥ　ＲＡＮＧＥ

        
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    <title>VOL.151「６つの野菜で作った　国産青汁」</title>
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    <published>2010-08-20T07:25:00Z</published>
    <updated>2010-08-17T07:50:17Z</updated>
    
    <summary>フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすす...</summary>
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        <category term="今週のBimi Smile" />
    
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        <![CDATA[フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすすめするBimi Smileブランド。
きょうは、無農薬の国産野菜のみで作ったBimi Smile「６つの野菜で作った　国産青汁」をご紹介します。
このBimi Smile「６つの野菜で作った　国産青汁」は、国内各地の契約農家で、農薬を使わず栽培した、6種類の国産野菜のみで作り、少し苦味はあるものの、さっぱりとした味わいで飲みやすいのが特徴です。

原料に使っている6種類の野菜は、鉄分を豊富に含み、クセのない味わいが特長の大分県国東半島産の大麦若葉と、同じく、大分県国東半島で採れた、カルシウムを豊富に含む、ケール。さらに、ビタミンEをたくさん含む福島県産のブロッコリー。独特の苦味が特長で、ビタミンCを含んだ大分県産のゴーヤ。食物繊維を含む伊豆大島産の明日葉。そして、カルシウム、鉄分含んでいる熊本県産の桑葉です。
この６種類の国産野菜を、通常市販されている青汁の粉よりも、さらに細かくまるごと粉砕し、粉末状にしたものを袋詰めしています。野菜を細かく粉砕することで、たっぷりと含まれた食物繊維を、一度に吸収することができます。
飲み方は、グラスに、冷たく冷やした約100mlの水、またはぬるま湯、牛乳などを注ぎ、
Bimi　Smile「６つの野菜で作った　国産青汁」をさっと入れ、スプーンなどでかき混ぜて、お召し上がりください。また、お好みで、ハチミツなどを入れると、自然の甘さが加わった、まろやかな味わいを楽しむことができます。

Bimi Smile「６つの野菜で作った 国産青汁」は、フレスタ各店舗飲料コーナーで、1回分(3g)が15袋入った１パックで販売しています。　
 
まだまだ厳しい暑さが続きます。さっぱりとした青汁を飲んで、体調を整えてはいかがでしょう？
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    <title>「鱗／秦基博」</title>
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    <published>2010-08-13T07:25:27Z</published>
    <updated>2010-09-02T10:34:00Z</updated>
    
    <summary>150回目の今日お届けしたのは、「鱗／秦基博」でした。 1980年11月、宮崎県...</summary>
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        <category term="PICKUP SONG" />
    
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        150回目の今日お届けしたのは、「鱗／秦基博」でした。


1980年11月、宮崎県日南市に生まれた秦基博は、７歳の時に父親の仕事の都合で、神奈川県横浜市に引越します。1992年、秦は、兄が買ってきたギターを弾き始め、1996年4月、高校入学後には軽音楽部に入部し、ミスター・チルドレンやエレファント・カシマシなどのコピーバンドを始めます。やがて秦は、リサ・ローブやシェリル・クロウなどの洋楽も聴くようになると同時に、オリジナル曲も作りはじめます。
1999年春、秦は、大学入学直前の春休みに、友人の紹介で、横浜・中華街近くのライブハウス「F.A.D YOKOHAMA」で行われた弾き語りライブに出演、店長に、その音楽性を見込まれた秦は、その後も、月に１、２度定期的に出演するようになります。

2004年1月、秦は、「F.A.D YOKOHAMA」の店長の薦めで、インディーズアルバム『オレンジの背景の静物』を制作。その年の夏には、ひとりで、関東近郊のライブハウスを巡るツアーを行います。
&quot;インディーズアルバムを作ったら、メジャーへの扉が開けるのでは&quot;－そう考えていた秦でしたが、彼を取り巻く音楽環境は変わらず、秦は引き続き自身の音楽スタイルを模索する日々を過ごします。
　しかし、翌2005年の暮、ライブハウスで歌っていた秦をたまたま見かけた、音楽事務所・オフィス・オーガスタのスタッフが声を掛け、ついに、秦基博メジャーデビューへの扉が開きます。

「当時、事務所はスキマスイッチをデビューさせた後で、彼らに続くアーティストを探していたんです。普通、&quot;デビューさせたい&quot;と思ったアーティストを見つけた時、デモテープを作って、ライブで経験を積ませてと、メジャーデビューさせるまで約１年はかけるんですが、彼の場合は違っていたんです。&quot;荒削りだけど、彼の場合は、完成されたアーティストとしてデビューさせるよりは、未完成のままデビューさせる方が面白いかもしれない&quot;と考え、彼を見つけてから4ヵ月後の2006年3月には正式に契約を結び、7月には事務所主催の野外ロックイベント「Augusta Camp2006」のオープニングアクトとして出演させたんです」。現在、秦基博のマネージャーを務める堀越さんは、当時についてこう振り返ります。デビューを前にして、約１万人の大観衆の前に歌を歌い、注目を浴びる存在となった秦基博は、11月に1stシングル「シンクロ」を発売します。
2006年11月、秦基博は1stシングル「シンクロ」を発売します。シングル「シンクロ」は、いきなり全国43局ものFM局のパワープレイを獲得します。
「僕らスタッフは、秦のデビューにあたって、彼を、&quot;シングルヒットを放つアーティストとして育てていくことよりも、秦が作った色んなスタイルの曲を、多くの人に聴いてもらって、コアなファンを掴みたい&quot;と考えたんです。そこでまずは、彼がギター１本の弾き語りで歌った、「Augusta Camp」のライブ映像を収録したプロモーションビデオを、全国のラジオ局に配って、彼の音楽の良さを、多くの人達に知ってもらおうとしました。その計画は見事に成功し、広島ＦＭをはじめとする、全国のＦＭ局から支持を獲得し、デビュー曲「シンクロ」がラジオから大量にOAされるキッカケを作ることができたんです」
マネージャーの堀越さんは、当時を振り返ります。

翌2007年３月、秦基博は、次の作品としてミニアルバムをリリースします。
「それまでの秦は、デビューするまで、ずっとギター1本、独りで歌を歌ってきました。それが、秦の音楽スタイルの基本なので、その弾き語りを軸に作った色んなタイプの曲を聴いてもらうために、ミニアルバムを作ることにしたんです。しかも、秦自身のサウンドを、しっかり聴いてもらうために、彼自身にプロデュースしてもらいました。」

こうして、2007年3月、秦基博がセルフプロデュースしたミニアルバム『僕らをつなぐもの』は発売されます。

2007年3月に、秦基博はセルフプロデュース・ミニアルバム『僕らをつなぐもの』を発売します。
「『僕らをつなぐもの』リリース直後に、広島FM主催で行った『魁ｎo.2』を含め、東京、大阪で初めてバンドスタイルでライブを行ったんです。他のメンバーを加えてバンドスタイルでライブを行ったのは、この時が初めてでした。
秦自身、他のミュージシャンと一緒に組む楽しさを覚え、それが自分にとって、音楽の幅を拡げるられることだと分かったんです。この経験が、その後の彼にとって大きな財産になりました」。
マネージャーの堀越さんは、当時をこう振り返ります。

その後、秦は、６月に発売を予定した次のシングルに、ある曲を選びます。
「この曲は、もともと、弾き語りのイメージが強く、いかにアレンジするのかがポイントだと思っていたので、アレンジを誰に頼むか考えて、秦本人、そしてスタッフの中で浮かんだ人物が、東京事変などのプロデュースを手掛けていた亀田誠治さんでした。それまで亀田さんとは、全く面識が無く、秦自身も、色んなアーティストのプロデュースを手掛け、多忙を極める亀田さんにアレンジをお願いすることに対して、遠慮と不安を感じていました。しかし、亀田さんにお願いすると、亀田さん自身も秦の音楽に興味を持っていてくれて、話はすんなりと決まったんです。
その後、デモテープを亀田さんに渡し、数日後に完成された曲が届いたんですが、その曲を聴いた瞬間、秦本人も含め、スタッフみんなが、その完成度の高さに驚いたんです。イントロ部分のピアノで曲に引き込まれ、ストリングスを加えたことで拡がったスケール感。曲がもともと持っていた力が、さらに拡がっていくのを感じたんです」。
マネージャーの堀越さんは、そのときの驚きをこう語ってくれました。

こうして、秦基博の2ndシングル「鱗」は、2007年6月に発売されるのでした。

2007年6月に発売された、秦基博の2ndシングル「鱗」。
「デビュー当時から、彼がライブで歌ってきたこの曲は、亀田さんのアレンジが加わったことで、今では曲のイントロが流れた瞬間に、ファンの顔色が変わっていくのがハッキリ分かるほど、彼のライブには欠かせない曲になったんです。亀田さんにアレンジを担当してもらって、曲のスケール感が拡がっていったことに秦自身も大満足し、それ以来、彼は他のアーティストと一緒になって曲を作っていくことにも、積極的にチャレンジするようになってくれました。この曲を通して、彼は色んな人達の力を借りて曲を作ることで、聴いてくれる人たちに、曲は、より伝わるものになるということを、実感することができたんです」。
最後に、マネージャーの堀越さんは、こう話してくれました。

１人の才能が、たくさんの手を経て、J-POPの名曲に生まれた変わった瞬間でした。


今日ＯＡした曲目
Ｍ１．Tomorrow Never Knows／Mr.Children
Ｍ２．シンクロ／秦基博
Ｍ３．僕らをつなぐもの／秦基博
Ｍ４.　鱗／秦基博

        
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    <title>VOL.150「千葉産半立ち から付落花生」</title>
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    <published>2010-08-13T07:25:00Z</published>
    <updated>2010-08-11T02:45:06Z</updated>
    
    <summary>フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすす...</summary>
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        <category term="今週のBimi Smile" />
    
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        <![CDATA[フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすすめする
Bimi Smileブランド。
きょうは、落花生の中でも、コクと風味、さらに甘味を楽しめる、Bimi Smile「千葉産半立ち　から付落花生」をご紹介します。　

ご存知の方も多いと思いますが、千葉県は、国内産の約８割を栽培する、落花生の大生産地です。その生産量の大半を占めるのが、"ナカテユタカ"と呼ばれる品種ですが、Bimi Smile「千葉産半立ち から付落花生」は、"半立ち種"と呼ばれる品種を原料に作っています。
　
この"半立ち種"は、主に千葉県西部、九十九里浜に面した畑で栽培されています。"半立ち種"は、畑で栽培する時に株が大きく広がっていくので、株と株の間隔を大きく開いて種を蒔く必要があります。そのため、他の品種と比べて、同じ広さの畑でも植えられる数が少なくなり、大量に作るためには、広い栽培面積が必要になるので、現在では栽培する農家が少なくなっています。

Bimi Smile「千葉産半立ち　から付落花生」は、そんな希少価値の高い落花生の品種"半立ち種"を、収穫後、一度乾燥させ、香ばしさを付けるために、機械で軽く炒って作っています。殻を割った時に漂う、芳醇な香りと、コクのある甘味は、"半立ち種"ならではのものです。また、生産されている農家が限定されているので、どの農家で栽培したかが特定しやすく、トレーサビリティの面でも、安心で安全な落花生を食べていただくことができるのも、特徴です。
　
Bimi Smile「千葉産半立ち から付落花生」は、フレスタ各店舗の豆菓子コーナーで、販売しています。
残暑が厳しくなるこれからの季節、冷たいビールのおつまみにいかがですか？


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    <title>「ずっとそばに.../Ｍetis」</title>
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    <published>2010-08-06T07:26:00Z</published>
    <updated>2010-08-05T05:59:40Z</updated>
    
    <summary>149回目の今日お届けしたのは、「ずっとそばに...／Metis」でした。 19...</summary>
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    </author>
    
        <category term="PICKUP SONG" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hfmweb.jp/blog/shokutaku/">
        149回目の今日お届けしたのは、「ずっとそばに...／Metis」でした。

1984年3月、広島市に生まれたMetisは、小さい頃から歌を歌うことが大好きで、近所のビデオ屋で貰ったビデオテープの中に入っていた、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を観て、その踊りを真似ていたといいます。その後、小学校に入るとMetisは、洋楽のオムニバスＣＤを買ってきて、その中に収録されていた、ボビー・ブラウンやホイットニー・ヒューストンなど、R&amp;Bやブラックミュージックに夢中になっていきます。そして、16歳の時、たまたま買った、ボブ・マーリーの追悼フェスティバルのビデオ『ONE LOVE THE BOB MARLEY ALL-STAR TRIBUTE』でレゲエ・ミュージックに出会った彼女は、その世界の虜になり、彼女自身も&quot;レゲエシンガーとして、人にメッセージを伝えていきたい&quot;と思うようになります。

2002年春、高校を卒業したMetisは、&quot;歌手になる&quot;という夢を実現するために、様々なオーディションにチャンンジしますが、簡単にその扉は開きません。しかし、「母さんにとったら世界一強い子じゃけん」という母親の言葉を励みに、オーディションにチャレンジし続けたMetisは、2005年、インディーズレーベル「JAMWAX」のオーディションに合格し、10月に1stミニアルバム『ANSWER』を、タワーレコード限定で発売します。アルバム『ANSWER』は、僅か400枚のリリースでしたが、パワフルな歌声とメッセージ性溢れる彼女の歌の評判は、口コミやインターネットを通じて広がり、彼女の名前は少しずつ、全国に浸透していきます。

2006年春、日本クラウンとメジャー契約を結んだMetisは、5月にインディーズ最後のミニアルバム『MUSIC』を発売。広島のことについて歌った曲「ANSWER」や、愛する全ての人たちが幸せになって欲しいと歌った曲「MUSIC」など、その歌の内容や、Metis自身の生き方に対して、少しずつ共感の輪が拡がっていきます。そんな中、Metisは満を持して、メジャー1stミニアルバム『WOMAN』を発売します。

「アルバム『WOMAN』発売直後の、10月から、Metisは約1ヵ月半で、全国40都道府県を回るインストアライブとキャンペーンを行ったんですが、おかげで、TV、ラジオ、雑誌など、さまざまなメディアが、彼女を取り上げてくれました。そして、キャンペーン直後の11月に、レゲエの本場ジャマイカで、レコーディングをすることになったんですが、初めてジャマイカを訪れたＭｅｔｉｓは、ジャマイカの人達がレゲエ・ミュージックを糧に生活している姿を見て、彼女自身、彼女なりのやり方で、歌を通してメッセージを伝えていくことができればと、強く感じたそうです」。
当時のことについて、マネージャーの鈴木さんは、こう振り返ります。

そして、2007年1月、Metisがジャマイカでレコーディングした曲をカップリングに収めた、メジャー1stシングル
2007年1月、Metisは1stシングル「梅は咲いたか桜はまだかいな」を発売します。
「&quot;梅は咲いたか桜はまだかいな&quot;の歌詞が、受験生を後押しするような励ましの内容であったり、彼女自身が偶然にも菅原道真の末裔であったことなどもあって、2月に湯島天満宮で合格祈願ライブを行ったんですが、このことは新聞やテレビを通して、数多く取り上げられました。ＦＭの各局でパワープレイにも選んでもらい、この曲で、Ｍｅｔｉｓの知名度を一気に拡げることができました」。鈴木さんは、こう振り返ります。

さらに、2007年は&quot;広島のシンガー&quot;であることを大切に思うＭｅｔｉｓにとって、節目の年となります。2007年5月、Metisはテレビ新広島の企画で、原爆ドーム前からの中継に生出演、さらに8月6日には全国ネットで放送された特別番組にも出演して、話題を集めます。
「Metis自身、家に帰ったら被爆体験を持つおばあちゃんが居て、小さい頃から、食卓で被爆体験について話を聞かされていたそうです。それで、彼女は、自分が歌手になる時に&quot;平和や命の尊さについて、歌を通して訴えていく&quot;と決めたんです。ただ、音楽活動を続ける中で彼女は、&quot;もっと自分は原爆の事について知らないといけない&quot;と感じて、改めて、語り部の沼田鈴子さんから直接話を聞いたり、被爆した建物を実際に歩き回るなどして、ひとつの曲を作ったんです。それが、アルバム『ONE LOVE』に収められた曲&quot;アオギリの木の下で...&quot;です」。

「アオギリの木下で・・・」が収められたアルバム『ONE LOVE』は、2007年8月15日にリリースされ、セールスチャート最高位20位、約6万5000枚の売上を記録します。また、10月には、初の全国ライブツアーも成功させ、Ｍｅｔｉｓは一歩づつ、メジャーアーティストの階段を昇っていきます。翌2008年2月、Metisは、特別な想いを込めて、新曲をリリースします
「もともと、別の曲を歌う予定にしていたんですが、レコーディング直前になって、&quot;もっとMetisらしい、聴く人にメッセージが伝わる歌を歌った方がいい&quot;という事になり、彼女が改めて考えて、辿り着いたのが、自分の母親をテーマにした歌を作ることでした。彼女が、歌手になることを決め、上京した直後に病で倒れた彼女の母親は、その時点で余命を宣告され、彼女自身、それから、常に母親の事を考えながら歌い続けていたんです」。
こうして、Metisのストレートな母親への想いを歌詞に込めたシングル「母賛歌」は、リリースされるのでした。
2008年2月に、Metisが発売したシングル「母賛歌」。Metisが生まれた時から、ずっと支えてくれた母親が、天国へ逝ってしまう前に、母への感謝の気持ちを伝えようと書いたその歌は、その年の夏に全国各地で行われた音楽フェスやイベントでも歌われ、多くの人達に共感を呼んでいきます。そして、シングルリリースから半年以上が過ぎた頃、あるTV番組への出演依頼が舞い込みます。
「その番組は、10月から日本テレビ系で放送がスタートした『誰も知らない泣ける歌』でした。Ｍｅｔｉｓは、テレビで&quot;母賛歌&quot;が取り上げられることに対し、初めは、&quot;私はレゲエシンガーなのに大丈夫だろうか&quot;という思いや、TVを観た人達から&quot;やらせなんじゃないか&quot;という、批判めいた意見が届くんじゃないかと心配していました。それで、Metisと僕等は、事前に彼女のブログで、&quot;自分がなぜテレビ番組に出演し、この歌を歌うのか&quot;説明したんです。実際11月に番組がOAされると、そんな心配は全く無く、むしろMetisのファンや、彼女と同じような境遇の人達から、たくさんの励ましのメッセージが寄せられ、それが、彼女にとって、大きな支えとなりました」。

しかし、番組が放送された直後の2008年12月、奇跡的に命を永らえていた彼女の母親は、ついに彼女を残して逝ってしまいます。
「彼女の下へは、&quot;母賛歌&quot;を通して彼女の事を知った多くのファンから、たくさんの励ましの声が寄せられました。母親を亡くした直後にはひどく落ち込んでいた彼女が、時間が経って、まず考えたことは、そんな、彼女に寄せられた励ましの声に応える、アンサーソングを作ることでした」。

「&quot;自分自身を含め、それぞれ人にはみんな&quot;大切な人&quot;&quot;ずっとそばにいたい人&quot;がいるはず。その人を、本当に大切にして欲しい&quot;という願いを、彼女はこの歌に込めました。大切な人からの言葉、そして愛を大切にして、どんな困難にも立ち向かってほしい。そんな願いが、この歌には込められています」。

こうして、Ｍｅｔｉｓ5枚目のシングル「ずっとそばに...」は、2009年4月に発売されます。

2009年4月に発売された、Metisの5枚目のシングル「ずっとそばに...」。
「母親を失い、途方に暮れていた彼女を救った、ファンの人達、そして同じ境遇の人達からの励ましの声。彼女は、その声に応えるために、再び歌を歌い始めました。この歌を通して一番伝えたかったのは、励ましの声をかけてくれた人達への恩返しだったんです。
最後に、マネージャーの鈴木さんは、こう話してくれました。

数多くのファンの励ましに応えたいという思いが、J-POPの名曲を産み落とした瞬間でした。

今日OAした曲目
Ｍ１．ワン・ラブ/ボブ・マーリー
Ｍ２.梅は咲いたか桜はまだかいな/Metis
Ｍ３．母賛歌/Metis
Ｍ４．ずっとそばに.../Metis

        
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    <title>VOL.149「広島県産　低脂肪牛乳」</title>
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    <published>2010-08-06T07:25:00Z</published>
    <updated>2010-08-05T05:46:16Z</updated>
    
    <summary>フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすす...</summary>
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        <![CDATA[フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすすめする
Bimi Smileブランド。
きょうは、カルシウムやたんぱく質はそのまま、乳脂肪分のみをカットした牛乳、Bimi Smile「広島県産　低脂肪牛乳」をご紹介します。

Bimi Smile「広島県産　低脂肪牛乳」は、広島県世羅町の酪農農家で飼育された牛から摂れた原乳のみを使っています。これによって、搾乳から店頭に並ぶまでの時間が短縮され、通常は４～５日かかるところ、最短で、翌日には店頭に並べることが可能になりました。ですので、絞りたての新鮮な牛乳を飲むことができるわけです。
また、Bimi Smile「広島県産　低脂肪牛乳」は、摂れたばかりの生乳から、脂肪分のみを約1/3カットしていますので、カルシウムやたんぱく質は、一般的な成分無調整牛乳と同じくらい含んでいます。
美味しさと、健康を両立させたい人には、おすすめの低脂肪牛乳です。Bimi Smile「広島県産低脂肪牛乳」は、フレスタ各店舗の牛乳売り場で、販売しています。
まろやかな口当たりで、飲みやすく、スッキリと味わえるので、朝、目覚めの一杯にいかがですか？



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    <title>「サカナクション／セントレイ」</title>
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    <published>2010-07-30T07:25:30Z</published>
    <updated>2010-07-29T05:19:53Z</updated>
    
    <summary>１４８回目の今日お届けしたのは、「サカナクション／セントレイ」でした。 「僕が、...</summary>
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        １４８回目の今日お届けしたのは、「サカナクション／セントレイ」でした。

「僕が、メンバーの山口一郎と、岩寺基晴の二人に初めて出会ったのは、2000年のことでした。当時、僕は札幌担当のビクターレコードのプロモーターで、札幌でイベントを企画した時に、二人がそれぞれ活動していたバンドに声を掛け、オープニング・アクトとして出演してもらったんです」。
現在、ビクターでサカナクションを担当する岡さんは、初めての出会いについてこう振り返ります。

1980年9月、北海道小樽市に生まれた山口一郎は、ヨーロッパに長年住んでいた父親の影響から、小さい頃からドイツのエレクトロニック・ミュージック・バンド「クラフトワーク」や、YMOなど、電子音楽をベースにしたポップミュージックを聴いて育っていきます。札幌市内の高校に進学した山口は、同級生の岩寺達と、UKロックのバンドを結成しますが、やがて解散。山口は、次第に打ち込みを重視した、テクノやクラブミュージックに傾倒するようになり、高校卒業後も、働きながら、独りで音楽活動を続けていきます。

2005年、山口は、テクノやクラブミュージックに、ロックやJ-POPのエッセンスを加えることで、&quot;何か違う音楽が生まれるのでは&quot;と考えはじめ、それを実践するために、別のバンドで音楽活動を続けていた岩寺を誘って、「サカナクション」を結成します。
「2000年に、山口と岩寺に初めて出会った後も、ちょくちょく彼らのライブは観ていたんです。それで、二人がバンドを結成したという話を聞いて、&quot;一体、どんな音楽を作るのか&quot;と興味を持っていたところ、二人からデモテープを貰ったんです。そのデモテープに収録されていた「三日月サンセット」と「白波ウォーター」の２曲を聞いた時、どちらも荒削りだったけど、テクノやハウス音楽の要素が詰まった独自の音楽性に、可能性を感じたんです。山口は、独りで活動していた時に、札幌のクラブで培った、サウンドの変調や、心地よいリズム感を、ロックミュージックに上手く活かしていたんですね」。サカナクションの曲を初めて聞いた感想を、岡さんはこう語ってくれました。

ロックバンドの世界に再び足を踏み入れた山口と岩寺の二人は、サポートメンバーとしてドラマ―の江島啓一、キーボードの岡崎英美、ベースの草刈愛美の３人を加え、地元北海道で、積極的にライブを積み重ねていきます。
2006年8月、サカナクションは、北海道最大の野外ロックフェスティバル「RISING SUN ROCK FESTIVAL　in　EZO」の公募選出枠に応募し、868組の中から、見事、出演枠を獲得します。これをキッカケに、サカナクションは、サポートメンバーを正式メンバーとして加え、5人組バンドとして活動を本格的にスタートします。

「RISING SUN ROCK FESTIVAL」の出演で注目を集めたサカナクションは、CD未発売ながら「三日月サンセット」が、地元北海道のカレッジチャートにランクイン、同時に「白波トップウォーター」もラジオから頻繁にオンエアされるようになって、ファンの間からはサカナクションのCD発売を求める声が、レコードショップに殺到します。
翌2007年、サカナクションは、こうしたファンの要望に応える形で、ビクターと正式に契約を結び、5月に待望の初CD『GO TO THE FUTURE』をリリースするのでした。

2007年5月にリリースされた、サカナクションのポップで、キャッチーな1stアルバム『GO TO THE FUTURE』は、地元北海道はもちろん、全国の音楽ファンからも注目され始め、彼らは8月に「SUMMER SONIC 」に、12月に「COUNTDOWN JAPAN」と、大型ロックイベントにも出演していきます。
「彼らは、クラブシーンにいるようなアンダーグランンドなリスナーと、J-POPのリスナー、この両方をターゲットにした音楽を作ることを目標にしました。音の質やアート性に拘りを持っているアンダーグラウンドのリスナーと、音には無関心だけど、歌には執着するJ-POPのリスナー。その中間の人達が気に入ってもらえるような音楽を作れば、自分達が目指した音楽ができるのではと考えたんです。1stアルバムに収められた&quot;三日月サンセット&quot;&quot;白波トップウォーター&quot;を始めとした8曲は、どれも、彼らの過去の作品の中から厳選した曲ばかりで、どの曲もテクノ、クラブミュージックを基調としたサウンドに、日本語独自の言葉の響きや言い回しを上手くのせて、ロックファンも、クラブ系のファンも惹きつける魅力を放っていました」。岡さんは、サカナクションの1stアルバムについて、こう語ります。

子供の頃、読書家で俳句が好きだった父親の影響で、自らも寺山修司の作品や種田山頭火の俳句を読んでいた山口が書く、文学性の高い歌詞。そして、繊細なギターと、うねるようなベースのグルーヴ感。さらには抑揚感際立つドラムと、キラキラとしたシンセの音色。これら全てが融合したサカナクションのサウンドは、ジャンルを問わず、多くの音楽ファンに新鮮な感覚を与え、虜にしていきます。

そして、2008年1月、前作から８ヵ月というスピードで、サカナクションは、2ndアルバム『NIGHT FISHING』を発売します。

「彼らにとって1stアルバムは、名刺代わりのようなアルバムで、実は、音楽シーンに対して、どうアプローチしていけばいいのかが、全く分かっていなかったんです。でも、1stアルバムをリリースして時間が経っていく内に、&quot;自分達が演ろうとしている音楽は間違いじゃなく、基本ターゲットは変えずに、サウンド面で進化させていくことが大切だ&quot;という事に気がついたんです。その結果から生まれたのが、この2ndアルバムです」。

ロックファンのみならず、クラブ好きの音楽ファンからも支持を集めたサカナクションは、その後、全国8ヵ所を回る初めての全国ツアーを行った後、8月には2年ぶりの「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」を始め、８本もの野外ロックフェスティバルに出演します。
「野外ライブ出演が終わって、翌2009年に発売する予定のアルバム制作に入った時、「RISING SUN ROCK FETIVAL  in EZO」で、未発表のまま演奏し、お客さん達の反応が良かったこの曲を、シングル化する話が持ち上がったんです。
それまで、彼らの頭の中には、シングルという概念はなく、幾つかの曲群が集まったアルバムを、一つの作品として捉えていました。しかし、僕は、アルバムを発売するにあたって、サカナクションをもっと盛り上げていくための、大きなうねりを作っていきたいと思っていたので、初めてシングル化することをメンバーに提案したんです。
次のアルバムに収める予定の曲の中でも、この曲はポップ感が際立っていて、メンバーからも、シングル化に対しての異論は出ませんでした」。

「ギターサウンドを全面に打ち出したこの曲は、アッパーなベースのグルーヴ感と、その二つを上手く融合させるためにアレンジ面にも工夫を凝らしていて、それまでのサカナクションとは違う、もう一つの新しいサカナクションの音楽が生まれたような感じがしたんです」。
こうして、2008年12月、サカナクションの1stシングル「セントレイ」は発売されます。
2008年12月に発売された、サカナクションの1stシングル「セントレイ」。
「&quot;セントレイ&quot;は、ギターサウンドを全面に出したことで、よりキャッチーな曲となり、多くの新しいファンを掴むことができました。発売直後に出演したライブイベント「COUNTDOWN JAPAN」でこの曲を歌った時には、会場に詰めかけた約5,000人のお客さんが、笑顔で踊りまくる、素敵な光景を目にすることができたんです。サカナクションが演ろうとしている、音楽の裾を広げるキッカケを作った曲ですね」。
最後に、ビクターの岡さんは、こう話してくれました。

バンドのチャレンジが生んだ楽曲が、J-POPの可能性を、また一つ拡げた瞬間でした。

今日ＯＡした曲目
Ｍ１．ショールーム・ダミー／クラフトワーク
Ｍ２．三日月サンセット／サカナクション
Ｍ３．ナイト・フィッシングイズグッド／サカナクション
Ｍ４．セントレイ／サカナクション

        
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    <title>VOL.148「パイシュ―」</title>
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    <published>2010-07-30T07:25:00Z</published>
    <updated>2010-07-29T04:49:45Z</updated>
    
    <summary>フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすす...</summary>
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        <category term="今週のBimi Smile" />
    
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        <![CDATA[フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすすめする
Bimi Smileブランド。
きょうは、香ばしいパイ生地の"サクサク"とした食感と、カスタードクリームの"とろ～り"
とした味わい。この二つの絶妙なハーモニーを味わえる、Bimi Smile「パイシュー」をご紹介します。

発売から1年余り。男性、女性、そして年齢を問わず、幅広い皆さんからお買い求めいただいている、
このBimi Smile「パイシュー」。
人気の秘密の一つ目は、濃厚な味わいで人気の高い、岡山・蒜山ジャージー牛乳で作った、
カスタードクリームです。
徹底した衛生管理の下で生産された蒜山ジャージー牛乳で作るカスタードクリームは、甘さ控え目
ながら、ミルクの濃厚な味わいを楽しんでいただくことができます。
　
そして、人気の秘密の二つ目は、柔らかいシュー皮と、"サクッ"と焼きあがったパイの、二層構
造で作ったシュー生地です。一度で、二つの食感を味わえるシュー生地と、その中に溢れんばかり
に詰め込んだ、こだわりのカスタードクリーム。サクっと＆とろーりの、絶妙なハーモニーを楽し
んでいただけます。

Bimi Smile「パイシュー」は、フレスタ各店舗の洋菓子売り場で、販売しています。
ティータイムのおやつに、食後のデザートに、ぜひ一度召し上がってください。

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    <title>「BEAT CRUSADERS／ＤＡＹ　ＡＦＴＥＲ　ＤＡＹ」</title>
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    <published>2010-07-23T07:25:30Z</published>
    <updated>2010-07-22T06:16:51Z</updated>
    
    <summary>１４７回目の今日お届けしたのは、「ＢＥＡＴ　ＣＲＵＳＡＤＥＲＳ／ＤＡＹ　ＡＦＴＥ...</summary>
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        １４７回目の今日お届けしたのは、「ＢＥＡＴ　ＣＲＵＳＡＤＥＲＳ／ＤＡＹ　ＡＦＴＥＲ　ＤＡＹ」でした。

「元々僕は、インディーズのレコード会社で、制作ディレクター兼営業宣伝担当、いわゆる何でも屋のような仕事をしていたんです。それが、仕事で培った知識やノウハウを、学生時代から始めたバンド活動へ取り入れるようになって、いつの間にかバンド活動がメインになっていったんです。こうして、1997年に、高校時代の同級生・イワハラユキオと二人でBEAT CRUSADERSを結成しました」。
ギター兼ボーカルのヒダカトオルさんは、バンド結成の経緯について、こう振り返ります。
アメリカのロックバンド「ザ・モンキーズ」の大ファンでありながら、ザ・ストーン・ローゼス、オアシスといったブリティッシュ・ロック音楽にも傾倒していたヒダカトオルは、1997年高校時代の同級生でドラマ―のイワハラユキオとユニット「BEAT CRUSADERS」を結成します。
「BEAT CRUSADERS」は、&quot;アメリカやイギリスのインディーズ音楽の世界にいる、POPなギターサウンドのバンド&quot;というコンセプトの下、当初はギターとドラムだけのユニットとしての活動を始めますが、その後、イワハラが脱退。ヒダカは音楽活動を通じて知り合った、ウム、タイ、アラキの３人が加えて、4人のバンド編成でBEAT CRUSADERSとしての活動を続けていきます。

1999年6月、BEAT CRUSADERSは、インディーズレーベルからシングル「NEVER POP ENOUGH E.P.」を、翌7月には1stアルバム『HOWLING SYMPHONY OF...』を発売します。60&apos;～&apos;90年代までの、ロックのエッセンスを取り入れたBEAT CRUSADERSのサウンドは、洋楽リスナーを中心に多くの人々から支持を集めていきます。さらに彼らは、スタジオワークと並行して、ライブ活動も精力的に行い、インディーズバンドでありながら2001年6月には、アメリカ西海岸を、翌2002年4月にはオーストラリアを回るライブツアーも行って、海外のロックファンからも注目を浴びるバンドに成長していきます。

2003年8月、ベストアルバム『BEAT CRUSADERS』を発売した後、音楽の方向性の違いから、ヒダカ以外の3人のメンバーがバンドを脱退、バンド解散の危機が訪れます。しかし、ヒダカは、音楽仲間のクボタマサヒコ、カトウタロウ、マシータ、ケイタイモの4人を加えて5人編成の新生BEAT CRUSADERSとしての活動をあらたにスタート。
そして、翌2004年春に、メジャーレーベルのDefSTAR RECORDSと契約を結ぶのでした。
「メンバーチェンジの後、僕の動向を心配してくれていたレコード会社の人達が、声をかけてくれたんです。僕は、インディーズで3年半余り活動して、ある程度の実績も残していたし、インディーズのレコード会社に勤めていた時に、メジャーレコード会社の販売や宣伝面での、良い部分、悪い部分も分かっていたので、&quot;僕らだったら、少しでもそのやり方を変えることができるのでは&quot;と思い、メジャーレコード会社と契約することにしたんです」。
こうして、DefSTAR RECORDSと契約したBEAT CRUSADERSは、7月にミニアルバム『A PopCALYPSE NOW～地獄のPOP示録』を発売します。

「メジャー初のリリースは、映画『地獄の黙示録』と、POP音楽をかけ合わせてタイトルを付けました。
物事の消費されるスピードが年々早くなっていく今の時代、POP音楽の世界も、人気を集めている人達でさえも、2、3年経つと、あっという間にその立場が入れ替わってしまう。実は、&quot;POP音楽は地獄から一番近い存在なのでは&quot;、そう思ったんです。インディーズの世界も同じで、世の中に認知される速度が速くなって、セールスもあがり、ジャンルも活性化してはいるけど、メジャー音楽と同じように飽きられるのも早くなっている。純粋に音楽をやろうとしていた人達でも、会社の資本が入ってきた段階で、この&quot;人気が落ちる&quot;地獄に巻き込まれてしまうんです。
僕は、そんな構図を、インディーズレコード会社で働いていた時に、実際に見てきたので、インディーズで実績を積んできた僕らがメジャーデビューして、少しでもその構図を変える挑戦ができればという思いを、アルバムタイトルに込めたんです」。ヒダカトオルは、メジャーデビュー作への思いについて、こう振り返ります。

「それから、僕等は、自分達が聴いて育ってきたパンクやPOPな音楽、特に海外の作品と日本のインディーズ音楽それぞれのエッセンスを、J-POPという音楽ジャンルの中に潜り込ませていました。そうすることで、より多くの人達に、僕等の音楽に興味を持って欲しいと考えて、曲を作っていました」。

BEAT CRUSADERSは、邦楽、洋楽、ジャンルを問わず音楽ファンの心を掴むと同時に、ライブを始めとした公の場では、メンバー全員が、それぞれの似顔絵イラストのお面をつけて登場し、決して素顔を見せないという、謎めいた部分も話題を呼び、多くの人達に、その存在が知られるようになっていきます。
こうして、2004年10月、BEAT CRUSADERSは、テレビ東京系アニメ『BECK』の主題歌にも起用された、メジャー1stシングル「HIT IN THE USA」を発売します。

2004年10月、BEAT CRUSADERSはメジャー1stシングル「HIT IN THE USA」を発売します。さらに、翌2005年3月には、ヒダカが音楽総合プロデューサーを務めたアニメ『BECK』のサントラ盤を２枚同時に発売します。
「主人公の少年が、バンド活動の中で、失敗と挫折を繰り返しながらも、音楽への信念を原動力に一歩ずつ前進していく様を描いたアニメ『BECK』と、僕らBEAT CRUSADERSの音楽活動は、重なる部分もあって、このアニメを観た人達にも、BEAT CRUSADERSを浸透させていくことができました。おかげて、ロックファン以外にも、僕らの音楽を浸透させることができたんです」。

BEAT CRUSADERSの音楽の魅力を、アニメを通して浸透させることに成功した彼らは、５月にメジャー1stアルバム『P.O.A～POP ON ARRIVAL』を発売し、セールスチャート最高位3位、約18万枚のセールスを記録します。
さらに、アルバム発売後に全国28ヵ所でのライブツアー、そして8月には「ROCK IN JAPAN FES」「SUMMER SONIC」
など野外ロックフェスティバル４本に立て続けに出演して、BEAT CRUSADERSは、ライブバンドとしても高い評価を集めていきます。

「ライブツアーが終わって、野外ロックフェスティバルに出演する合間に、次のシングルの構想を練ったんです。そこで僕は、&quot;アジアン・カンフー・ジェネレーションや、BUMP OF CHICKENと言った後輩バンドが演っている、ギターROCK感に、パンクロックの象徴のひとつ、２ビートに乗せて曲を作れないか&quot;、そう考えたんです」。

「ところが、色々と模索しながら作った曲のレコーディング途中に、ドラマ―のマシータが、ライブツアーや夏フェスに出演し続けてきたことによる疲労と、レコーディングでドラムを激しく叩き過ぎたのが原因で、足を負傷してしまったんです。
それで、ほんの数日なんですが、バンド活動を休まなくちゃいけなくなったんですね。でも、その数日間休みを取ったことで、&quot;自分達にとって本当に必要な事は何なんだろうか&quot;という、忙し過ぎることで見えなくなっていた部分を、改めて考えることができて、バンドにとってはいい休養期間になったんです。そのせいか、曲自体、最終的には柔らかい雰囲気に仕上がりました」

こうして、BEAT CRUSADERSが作った曲「DAY AFTER DAY」は、2006年4月に、5枚目のシングルとして発売されます。

2006年4月に発売された、BEAT CRUSADES５枚目のシングル「DAY AFTER DAY」は、セールチャート最高位6位を記録します。
「結果的にBEAT CRUSADERSにとっては、メンバーのケガによる少しの休みがプラスに働きました。苦しみや悲しみと向き合って、それを素直に受け入れることで、新たな自分達を見つけることができたんです。それは、バンドにとって、大きな刺激を与えてくれたんです。
この曲は、ギターロックの疾走するような爽やかさと、パンクロックのスピード感、その両方を兼ね備えていて、ライブでも演奏すると、お客さん達も楽しそうだし、僕らも気持ち良いので、僕等のライブには欠かせない曲になっています」。
最後に、メンバーのヒダカトオルさんは、こう語ってくれました。

勢いのあるバンド活動の中で生まれた、アクシデントによる少しの休息が、J-POPの名曲を生み出した瞬間でした。

今日ＯＡした曲目
Ｍ１．デイドリーム・ビリーバー／ザ・モンキーズ
Ｍ２．LOVE DISCHORD／BEAT CRUSADERS
Ｍ３．HIT IN THE USA／BEAT CRUSADERS
Ｍ４．ＤＡＹ　ＡＦＴＥＲ　ＤＡＹ／BEAT CRUSADERS

        
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    <title>VOL.147「ひねり揚げ」</title>
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    <published>2010-07-23T07:25:00Z</published>
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    <summary>フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすす...</summary>
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        <category term="今週のBimi Smile" />
    
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        <![CDATA[フレスタが、品質、おいしさ、安心、安全などにこだわった商品を、自信をもっておすすめするBimi Smileブランド。
きょうは、国内産小麦粉を原料に、アミノ酸などの化学調味料を加えず、小麦粉が持つ香ばしい香りを楽しめるお菓子、Bimi Smile「ひねり揚げ」をご紹介します。

Bimi Smile「ひねり揚げ」は、いつ、どこで栽培されたのかがはっきりと分かる、国内産の小麦粉を使用しています。また、｢ひねり揚げ｣の形を整えて、揚げる際には、機械で一度に大量に揚げることはせず、１個１個を丁寧に手で揚げていますので、小麦本来の香ばしい香りを楽しむことができます。さらに、油も、コレステロールを抑える働きのある、植物油を使っています。
　
仕上げの味付けには、赤穂の天塩を軽くまぶします。この赤穂の天塩は、高知県室戸沖の水深344mから汲みあげたミネラル分を含んだ海洋深層水を使い、昔ながらの天日の塩田で作ることで、ただ塩辛いだけでなく、旨みも加わった丸い味に仕上がっているのが特徴です。この塩味が、ひねり揚げの生地の美味しさを、より引き立ててくれます。

このBimi Smile「ひねり揚げ」は、フレスタ各店舗のお菓子売場スナック菓子コーナーで、販売しています。
おやつに、ビールのおつまみに、ついつい癖になってしまいそうな味ですよ。



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    <title>「ＨＡＬＣＡＬＩ／Ｔｉｐ　Ｔａｐｓ　Ｔｉｐ」</title>
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    <published>2010-07-16T07:26:00Z</published>
    <updated>2010-07-16T05:41:52Z</updated>
    
    <summary>１４６回目の今日お届けしたのは、「ＨＡＬＣＡＬＩ／Ｔｉｐ　Ｔａｐｓ　Ｔｉｐ」でし...</summary>
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        <category term="PICKUP SONG" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hfmweb.jp/blog/shokutaku/">
        １４６回目の今日お届けしたのは、「ＨＡＬＣＡＬＩ／Ｔｉｐ　Ｔａｐｓ　Ｔｉｐ」でした。


東京都目黒区生まれのYUCALIと、HALCAの二人は、小学生の時、都内のダンススクールで出会い、意気投合します。
2000年、YUCALIとHALCAの二人は、テレビ東京系で放送されていたダンス番組「RAVE2000」の小学生大会に出場して優勝、さらに2002年春に行われたダンスコンテスト「FEMAIL RAPPERオーディション」に出場して優勝します。

「「FEMAIL RAPPER」オーディションで優勝した時、彼女達はまだ中学生だったんですが、RIP SLYMEのRYO-ZとDJ FUMIYAによるプロデュース・チーム「O.T.F」全面プロデュースの下、デビューすることが決まったんです。
当時、二人が憧れていたのは、R&amp;Bシンガーのメアリー・J・ブライジや、女性ラッパーのミッシー・エリオットで、とにかく自分達の歌いたい曲を歌いながら、レッスンでいたそうです」。
担当ディレクターを務める、エピック・レコードの笠井さんは、当時についてこう振り返ります。

2002年7月、二人の名前をかけ合わせて作ったユニット名の「HALCALI」を結成した彼女達は、RIP SLYMEが日本武道館で行った無料ライブにゲストとして参加。ライブの途中、RIP SLYMEのメンバーの呼びかけに応じて、客席からステージに上がって、1万人の観客を前にして、曲を披露します。
「RIP SLYMEのライブ中に、突然ステージ上にあげられた彼女達は、1万人の観客を前にして、緊張することなく、O.T.Fが彼女達のデビュー曲として作った曲を歌ったんです。一瞬、&quot;彼女達は誰&quot;って顔をしていたRIP SLYMEのファン達も、脱力感満載の彼女達の歌声を聞いて、曲が終わる頃には、一緒に踊っていたそうです」。

こうして、デビュー前から注目を浴びていたHALCALIは、2003年1月、1stシングル「タンデム」を発売します。

2003年1月、HALCALIは、O.T.Fプロデュースによる、1stシングル「タンデム」を発売します。
YUCALIとHALCA、二人の現役女子中学生によるユニットHALCALIの曲は、しつこいほど韻を踏む意味不明の歌詞と、シンプルなメロディで構成され、脱力感たっぷりだけど、一度耳に入るとこびりついて離れない感覚で、同世代の女子中高生を中心としたティーンエイジャーから支持を集めていきます。
また、HALCALIの1stシングル「タンデム」のプロモーションビデオは、スペースシャワーTV、MTVなどBS・CSそれぞれのミュージックチャンネル4局のパワープレイ曲にも選ばれ、1stシングル「タンデム」は、セールスチャートで最高位19位を記録することになります。

「HALCALIは、当時、RIP SLYMEのプロデュースワークであったり、奇抜なアートワークだったり、サブカルチャーでの
アートな方向に振り切って活動していました。とにかく、&quot;サブカルチャーに精通する２人組みの女の子&quot;というキーワードは、今でも徹底しているところです」。エピックレコードの笠井さんは、こう語ります。

自由奔放で、絶妙にユルいHALCALIの音楽は、音楽ファン以外にも、彼女達の音楽を偶然耳にした人達の興味も引き付けていきます。
　デビュー時は、２人とも中学生だったため、プロモーションビデオでの露出が中心だった活動も、少しずつ本格化し、4月に発売した2ndシングル「エレクトリック先生」は、セールスチャート最高位16位を記録。
さらに、６月には、彼女達の噂を聞きつけた、イギリスの国営放送BBCのライブ＆トーク番組に、日本の10代の女の子に人気のヒップホップユニットとして、紹介されます。
そんな中、2003年7月、HALCALIは、3枚目のシングル「ギリギリ・サーフライダー」を発売します。

2003年7月に発売された、HARCALIの3rdシングル「ギリギリ・サーフライダー」は、セールスチャート最高位10位を記録します。
勢いに乗ったHARCALIは、二人が夏休みに入ると同時に、全国6ヵ所で初めてのライブツアーを実施。
さらに９月には、O.T.Fがトータルプロデュースを手掛け、スチャダラパーなど多彩なゲストが参加した1stアルバム
『ハルカリベーコン』を発売、最高位５位を記録し、日本の女性ラッパーとしては初めて、セールスチャートTOP10にランクインします。

その後も、HALCALIは、女子中高生の間で人気を集めていたストリートファッションブランド「ラバーズハウス」とコラボレーションしたつなぎや、Tシャツなどを販売して、音楽以外の分野にもチャレンジし、注目を集めていきます。
こうして、&quot;脱力系ラップ&quot;と呼ばれる音楽ジャンルを確立したHALCALIに、2005年、ひとつの転機が訪れます。
「2005年に入ってすぐ、所属事務所の方針で、HALCALIの二人を、&quot;SONY MUSICのアニメマーケティング戦略に絡ませてアピールしたい&quot;という話になって、レコード会社をエピックレコード移籍したんです。そのときの担当が僕です。
　僕も、それまでは、一般の音楽ファンがHALCALIの音楽に対して抱いていた、&quot;脱力系ラップ&quot;と表現されるようなものと同じイメージを持っていました。でも、彼女達に実際会ってみると、違っていました。
　彼女達は、二人で歌うと、ラップよりも、独特なハーモニーを奏でられることに僕は気が付いたんです。そこで、それまで
ラップ９割、歌１割だった歌の構成を、ラップ２割、歌８割に変えてみたんです。すると、それまでの&quot;脱力系&quot;という彼女達のイメージは変わって、&quot;POPアーティスト&quot;としての風格さえ感じることができたんです。&quot;これだ&quot;と思った僕は、この風格を上手く活かせば、HALCALIは、&quot;ヒップホップだけでなく、POPな曲も歌えるアーティストへステップアップできる&quot;、僕はそう確信したんです」。
笠井さんは、ＨＡＬＣＡＬＩの転機について、こう語ります。

こうして、HALCALIは、レコード会社移籍を機会に、それまでの彼女達の音楽スタイルを変えて、歌物にチャレンジすることになります。
「アニメマーケティングに絡ませる展開の皮切りとして、まずはTBS系アニメ『交響詩篇エウレカセブン』のエンディング・テーマを、秋から歌うことになったんです。それまでの彼女達のイメージを大切にしつつも、どうやったら、歌ってラップするオシャレな２人組みの女の子を作りあげることができるか、色々と考えて曲を作りました。それまで彼女達は、アルバムでは歌をメインとした曲もやっていましたが、シングルとしては発売したことがなかったので、二人ともハモリのパートでは、なかなか上手く歌えずに、何度もやり直しして、苦労しました」。

2005年12月、HALCALIが新しいスタイルにチャレンジして作った、シングル「Tip Taps Tip」は発売されます。

2005年12月に発売された、HALCALI７枚目のシングル「Tip Taps Tip」は、セールチャート最高位27位を記録します。
「それまでのHALCALIのスタイルを変えて作ったこの曲は、セールス的には今ひとつでしたが、その後の彼女達の音楽人生にとって、ひとつのターニングポイントになったと思います。歌の歌詞にもあるように、まるで足踏みをするかのように、彼女達二人の未来を照らした楽曲に仕上がっています。彼女達にとって、新たなチャレンジにもなった、意味の深い曲だと思っています」
最後に、担当ディレクターを務めた笠井さんは、こう言いました。

新たな世界にチャレンジすることで生まれた、J-POPの名曲の誕生の瞬間でした。

今日ＯＡした曲目
Ｍ１．ラブ・イズ・オール・ウィ・二―ド／メアリー・Ｊ・ブライジ
Ｍ２．タンデム／ＨＡＬＣＡＬＩ
Ｍ３．ギリギリ・サーフライダー／ＨＡＬＣＡＬＩ
Ｍ４．Tip Taps Tip／ＨＡＬＣＡＬＩ

        
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