FRESTA Bimi Smile presents 食卓ON楽

食卓音楽


« VOL.203「金ごまドレッシング」メインVOL.204「鷹取醤油 のり醤油」 »

2011年9月16日
「be alive/小柳ゆき」

207回目の今日お届けしたのは、「小柳ゆき/be alive」でした

 

「僕が彼女に初めて出会ったのは、確か1998年、リハーサルスタジオに、関係者を集めて行ったオーディションの場でした。彼女は、小柄で、見た目は、どこにでもいる普通の女子高生といった雰囲気の子で、オーラは感じなかったんです。ところが、彼女が歌を歌い始めると、その空気感は一変し、彼女はオーラに満ち溢れ、ダイナミックな歌声で歌う彼女の姿に、僕は驚きを隠せませんでした。僕は直ぐに、彼女を歌手として育てていく事を決めたんです」。
小柳ゆきのプロデュースを手掛けた、吉田晴彦さんは、当時をこう振り返ります。

1982年1月、埼玉県大宮市に生まれた小柳ゆきは、4歳年上の音楽好きの姉の影響で、小学5年生の頃から歌を歌い始めます。
最初は、歌謡曲を中心に歌っていましたが、いつの間にか、ホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーなどの洋楽を、好んで歌うようになっていきます。1994年、小柳ゆきは、ひと足先に歌手として活動をスタートさせていた姉・裕美の影響で、彼女自身も歌手を目指し、その年に開かれた「コロムビア歌謡曲新人歌手オーディション」に出場し、全国決勝大会まで勝ち残ります。

その後、小柳ゆきは、オーディションの全国決勝大会まで残った実績が評価されて、音楽事務所からデビューの誘いを受けますが、当時、彼女自身が、学校の部活動でしていた剣道に没頭していた事もあって、一度はデビューの誘いを断ります。しかし1997年に入って、再びデビューの誘いを受けた小柳ゆきは、今度はその誘いを受け入れ、歌手デビューに向けた第一歩を踏み出します。

「僕が彼女と一緒にレッスンを始めた1998年頃は、日本でもホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーなどの曲がヒットし、女性ボーカリストによる本格的なR&Bブームが到来し始めていたんです。僕は、音域の広い彼女の歌声を評価していましたが、ブームに乗って、彼女をR&Bシンガーにこだわって育てていく事だけはしたくなかったんです。むしろ、誰もが聴いて楽しめる、分かりやすいメロディの曲を歌って、幅広い人達に愛されるシンガーとして、育てていきたかったんです」。
プロデューサーの吉田さんは、当時をこう振り返ります。

その後小柳ゆきは、地元埼玉の高校に通いながら、約1年間に渡ってボーカルレッスンとデモテープ作りを積み重ね、1999年9月に、1stシングル「あなたのキスを数えましょう~You were mine~」をリリースするのでした。

1999年9月、小柳ゆきがリリースした1stシングル「あなたのキスを数えましょう~You were mine~」。
「まだ、あどけなさが残る若干17歳の女子高生・小柳ゆきのデビュー曲を巡っては、リリースされるまでにレコード会社の中でも賛否両論あったんです。ボーカリストとしての力を試されるバラード曲を、いきなりデビュー曲で歌わす事は、リスクが高く、普通は、まず派手な曲で音楽ファンの興味を集めて、次にバラード曲を歌って、ファンの人達に、その歌唱力を認めさせていく形が、音楽業界のセオリーだったんです。しかし、僕は、彼女の歌声は間違いなく、聴く人達の心を掴むという自信を持っていたので、デビュー曲をバラード曲にしたんです」。

小柳ゆきの1stシングル「あなたのキスを数えましょう~You were mine~」は、じわじわと売上を伸ばし、最終的に、約1年間に渡って売れ続けるロングヒット曲となります。
「同時期にデビューした、宇多田ヒカルさん、倉木麻衣さんがメディアに積極的に取り上げられて、オシャレで、トレンディな女性ボーカリストとして評価を集めていました。一方の小柳ゆきは、メディア露出は少ないけど、実力をもったソウルラヴァーとして、その潜在能力は少しずつ評価を集め始めていたんです。彼女の歌声を、生で聴いてもらいたい。そう思った僕達は、彼女のライブを大きなステージで積極的に展開していくことを考え、ホイットニー・ヒューストンや、マライア・キャリーのステージを真似て、ボーカルレッスンの他にも、ダンスやパーカッションなどにもチャレンジさせたんです」。

2000年4月に、小柳ゆきがリリースした4枚目のシングル「愛情」は、セールスチャート最高位3位、約72万枚の売上を記録します。
「アメリカのポップシンガー、ドナ・サマーの曲を意識して作った、4枚目のシングル「愛情」は、曲が持っているスケール感が大きく、聴く人をドキドキさせる、感じがしたんです。セールス的にも成功して、僕の彼女に対する予感は、この曲をキッカケに確信へと変わりました」。さらに、小柳ゆきが、5月にリリースした、洋楽カバーアルバム『Koyanagi the Covers PRODUCT 1』が、セールスチャートの1位を獲得します。
「彼女のもう一つの特徴でもある、英語の歌唱能力の高さを活かしたアルバムでした。特に海外進出を意識して作った訳では無く、彼女の歌の幅を拡げるために、チャレンジしたんです。彼女は、英語を特別誰かに習った訳でなく、自分でホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーの歌を、見様見真似で歌っている内に、彼女ならではの英語の歌詞の節回しが身につき、それが一つの個性になっていたんです」。

プロデューサーの吉田さんを始めとしたスタッフは、小柳ゆきの持っている歌唱力の高さを再認識すると共に、その確信をより強固な物にするために、再びバラード曲をリリースすることを決めます。
「この曲は、1stシングルリリース直後には、すでに完成していた曲です。当時、レコード会社では、次にどの曲をリリースするのか、曲を決定する会議で厳しく吟味して決定していたんです。この曲も、一度はシングル候補曲として検討されたんですが、会社の上層部が、1stシングルに続いて、2曲続けてバラード曲ではダメだと言う結論で、お蔵入りになっていた曲です」。

「しかし、シングルがヒットし、洋楽のカバーアルバムもセールチャート1位を獲得して、レコード会社の上層部も、彼女の才能を認め、この時期になると、販売戦略も、僕らスタッフが、自由に決めてリリースすることができたんです。そこで僕達は、聴く人達の心をきちんと掴むために、もう一度バラード曲で勝負することにしたんです」

こうして、2000年7月に小柳ゆきの5枚目のシングル「be alive」は、リリースされるのでした。

2000年7月にリリースされた、小柳ゆきの5枚目のシングル「be alive」は、セールスチャート最高位1位、約50万枚の売上を記録します。
「この曲は、セールス的には、1stシングル「あなたのキスを数えましょう~You were mine~」に及びませんでした。しかし、曲が持っている、人は人によって支えられている、と言うテーマ通り、彼女自身、多くのスタッフ、そしてファンの人達によって支えられているという事を、この曲から学んでいったんです。多くの人達に支えられて、これからもアーティストとして歌を歌い続けていく自信を、この曲で掴んだんです」。最後に、吉田さんは、この曲について、こう振り返ってくれました。

一人の歌姫に歌い続ける自身を与えた、J-POPのバラードの名曲が生まれた瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.I Will Always Love You/ホイットニー・ヒューストン
M2.あなたのキスを教えましょう~You were mine~/小柳ゆき
M3.愛情/小柳ゆき
M4. be alive/小柳ゆき