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食卓音楽


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2011年7月 1日
「Romanticが止まらない/C-C-B」

196回目の今日お届けしたのは、「C-C-B/Romanticが止まらない」でした

 

「今から29年前の1982年、当時、東京・原宿の路上で、ハワイのFM放送局「KIKI」の放送を録音したカセットテープが売られていたのをヒントに、僕は、ミニFM放送局の立ち上げを思いついて、8月に、青山に、日本初のミニFM放送局「KIDS STATION」を立ち上げたんです。それと同時に、和製ベンチャーズと、和製ビーチ・ボーイズをコンセプトにしたバンドを作って、彼らの曲を収めた自主制作のカセットテープを販売したんです。その中のバンドのひと組が、ココナッツ・ボーイズでした」。
ミニFM放送局「KIDS STATION」のプロデューサーを務めた上野さんは、当時をこう振り返ります。

1982年夏、東京・青山に開局したミニFM放送局「KIDS STATION」が作った一本のカセットテープ『Raspberry Avenue』。ここから生まれたのが、和製ビーチ・ボーイズをコンセプトにした「ココナッツ・ボーイズ」でした。
「ココナッツ・ボーイズ」は、上野さんが、知り合いの音楽関係者から紹介された渡辺英樹、笠浩二、関口誠人ら、6人のメンバーで結成されます。
「僕が彼らに初めて出会ったのは、1982年の暮れでした。カセットテープを聴いて、面白いと思った僕は、上野さんから紹介してもらって、彼らを育ててみることにしたんです。彼らは、和製ビーチ・ボーイズがコンセプトだった割には、肝心のビーチ・ボーイズの知識は全くと言ってもいいほど、持っていなかったんです」。当時のポリドールレコードで、担当ディレクターを務めた渡辺さんは、ココナッツ・ボーイズとの出会いについてこう振り返ります。

「彼らは、メンバーのほとんどがリードボーカルをとることができたので、僕は、コーラスを徹底的に鍛えれば、面白いポップスバンドになると思ったんです。そこで、『Raspberry Avenue』のディレクションにも参加していて、ビーチ・ボーイズに詳しかった萩原健太さんに手伝ってもらって、彼らを鍛えることにしたんです」。
こうして、ココナッツ・ボーイズは、半年間に渡って、渡辺さん、萩原さん達のアドバイスを受けた後、1983年6月に1stシングル「Candy」でデビューするのでした。

1983年6月、ココナッツ・ボーイズは1stシングル「Candy」と、1stアルバム『Mild Weekend』をリリースします。
「1stシングルは、アルバムを作る時に萩原健太さんに手伝ってもらった経緯もあって、彼が作った曲を選んだんです。ただ、僕は、本当は、僕の実の兄でもある、筒美京平に、曲を作ってくれるように頼んでいたんです。ところが、当時兄は、作曲家としての仕事が多忙を極めていて、僕の頼みなんか聞いてくれる状況ではなかったんです」。渡辺さんは、当時をこう振り返ります。

「1stシングルとアルバムはあまり売れませんでした。僕は彼らに、とにかく、ひたすら練習を積み重ねてもっと上手くなってもらうしかないと考えて、来る日も来る日も、スタジオで練習をさせたんです。もちろん、ライブハウスに出演もしていたんですが、ライブは、観客の雰囲気などで演奏の善し悪しが分からなくなるので、とにかく静かなスタジオで練習させたんです。スタジオは、静かなので、演奏が上手いか下手か直ぐに分かりますから」。

翌1984年、ココナッツ・ボーイズは、音楽的志向の違いから、メンバー3名が脱退。代わりに、田口智治、米川英之の二人が新メンバーとして加入し、5人組となった、ココナッツ・ボーイズは、7月に2ndシングル「瞳少女」をリリースするのでした。

1984年7月にリリースされた、ココナッツ・ボーイズの2ndシングル「瞳少女」は、ロート製薬のCM曲として起用されますが、残念ながらヒットには至りません。
「当時から、メンバーの渡辺と関口は、オリジナル曲を書いていたんですが、とにかくヒット曲を出したいと考えた僕らは、作詞家として頭角を現し始めていた秋元康さんに、この曲の詞を書いてもらい、さらに、当時、チェッカーズを手掛けて一躍時の人となっていた、芹澤廣明さんに曲を作ってもらったんです。しかしながら、結果的には曲は売れず、本当にどうにかしないといけないと思っていた時に、翌年の1985年1月にスタートするTBS系ドラマ『毎度おさわがせします』の主題歌提供の話が、知り合いのドラマ制作会社から飛び込んできたんです」

「話が余りにも突然だったので、ドラマ制作会社のスタッフから、詳しい話を聞くと、どうやら、元々は、当時路上パフォーマンス集団として人気を集めていたユニット「一世風靡セピア」が、主題歌を歌う予定で話が進んでいたらしいんです。ところが、中学生の性教育をテーマにした、コミカルなドラマのストーリーと、一世風靡セピアの歌はマッチしないという理由で、彼らが歌う話が白紙に戻って、急遽、僕らに話が回ってきたんです。チャンスだ、と思った僕は、今度こそは、という思いで、兄の筒美京平に曲を書いてくれるように頼んだんです」。

「ヒット曲を出したい」と言う、実の弟・渡辺の強い想いに、兄・筒美京平は、曲を作るにあたって、ひとつの条件を出します。
「松本隆が詞を書くのならというのが、兄の条件でした。もちろん、僕に異論はありません。実際には、兄が、直接、松本隆さんに頼んでくれて、僕は松本さんに、スピード感ある詞を作って欲しい、とだけリクエストしたんです。兄の筒美京平は、メンバーの笠の声質を気に入ってくれていたので、彼をリードボーカルにして、残り3人のコーラスを活かす形で曲を作れば売れると考えて、メロディを作ってくれました。そして、そのメロディに乗る形で、松本さんが詞を書いてくれたんです。あと、松本さんは、曲のタイトルの文字数を、わざとたくさんにして、オリコンのチャート表に載ったとき、他のタイトルよりも目立つように工夫してくれたんです。」

「曲と詞が完成し、アレンジも、兄の筒美京平と付き合いが深い船山基紀さんにお願いしました。兄は、ロックっぽい曲に仕上げて欲しいと思っていたみたいなんですが、船山さんは敢えてテクノ・ビートと歌謡曲のテイストを融合させたアレンジを考えてくれました。ハーモニーや、バックコーラスは、レコーディングの現場で決めたんです。それから、曲のキメとなる歌詞「止まらない」と言う箇所のメロディは、「止まらない」の「と」と言う言葉の後に、わざと休符を置く形に、レコーディングの最後になって、変えたんです。曲を最後まで聴かせるためには、フックとなるフレーズが必要ですから。結果的に、そこが曲を聴いた人に大きな印象を与えることになったと思います」。

完成した曲を聴いた、渡辺さんや、ドラマ制作のスタッフ達は、その完成度の高さに満足。渡辺さん達は、"曲は絶対に売れる。後は、お前達自身がもっとキャラクター性を作って、音楽ファンにインパクトを与えた方がいい"というアドバイスをココナッツ・ボーイズにおくります。そこで、ココナッツ・ボーイズのメンバーは、バンド名を、頭文字だけを組み合わせた「C-C-B」と改め、さらに、見た目のインパクトを与えるために、自分達の髪の毛を、紫、グリーン、黄色、赤に染めて、衣装も、原色を使ったド派手なものを着ることを決めます。

こうして、1985年1月、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』の主題歌として起用された、ココナッツ・ボーイズ改め、C-C-Bの3枚目のシングル「Romanticが止まらない」は、リリースされるのでした。

1985年1月にリリースされた、C-C-Bの3目のシングル「Romanticが止まらない」は、セールスチャート最高位2位、約52万枚の売上を記録します。
「筒美京平、松本隆、船山基紀というヒットメーカー達の組み合わせによる最高のポップナンバー。そして、当時としては珍しい、カラフルな髪型と派手な衣装で、若者達の心を一気に掴んだ彼らのキャラクター。特に、当時は最先端だったシモンズのシンセ・ドラムを叩きながら熱唱する笠の姿は、かなり印象的だったと思います。とにかく、全てのタイミングが、見事なまでに組み合わさったからこそ、この曲は生まれ、彼らの人気が一気に爆発したんです」。最後に、渡辺さんは、こう話してくれました。

偶然巡ってきたチャンスが、ヒットメーカー達の多彩なアイディアによって、ビッグチャンスへと生まれ変わった、J-POPの名曲が生まれた瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.Fun,Fun,Fun/ザ・ビーチ・ボーイズ
M2.Candy/ココナッツ・ボーイズ
M3.瞳少女/ココナッツ・ボーイズ
M4.Romanticが止まらない/C-C-B