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2010年12月 3日
「夜明け/ハンバート ハンバート」

166回目の今日お届けしたのは、「ハンバート ハンバート/夜明け」でした。


「僕が4歳の時に、10歳上の従兄が、買ってもらったばかりのエレキギターを持って嬉しそうにしていたのが忘れられなくて、僕も、中学卒業直前にヤマハのフォークギターを買ってもらったんです。嬉しくて仕方ありませんでした。実は、7歳の時にバイオリンを習い始めていたんですが、僕の音楽の原点は、やっぱりギターだったんです」。
ギターとの出会いについて、ハンバート ハンバートの佐藤良成さんはこう振り返ります。

1978年10月、神奈川県に生まれた佐藤良成は、小学校に入学と同時にバイオリンを習い始めます。
「バイオリンを習い始めた僕でしたが、よく聴いていた音楽は、ザ・ドリフターズや、CCRなどの、ちょっと懐かしめの洋楽だったんです。洋楽のメロディラインが大好きで、歌詞の意味は分かっていなかったけど、とにかくメロディに合わせて鼻歌を歌っていました」。
1994年春、佐藤は東京・和光高校に入学して間もなく、同級生2人と、ボブ・ディラン、ザ・バンドのコピーバンド「プランクトン」を結成します。
「フォークギターを買ってもらった僕がカバーし始めたのが、ボブ・ディランやザ・バンドでした。曲を聴く人に、どこか懐かしさを感じさせてくれる彼らの曲が、僕の心を捉えたんです」。

1994年、佐藤良成が作ったボブ・ディラン、ザ・バンドのコピーバンド「プランクトン」は、学園祭を中心に活動します。
「この時の活動は、今改めて振り返ってみると、今のハンバート ハンバートの原点にもなっているような気がします。特別何かに責め立てられるようにして音楽をやっていた訳ではなく、ただ自分達が好きな音楽を、時間がある時に自由にやっていただけ。でもそれが、いいリズムを作っていたんだと思います。ボブ・ディランに魅かれたのも、僕のリズムと彼の音楽のメロディのリズムがピッタリと合ったんでしょうね」。佐藤さんは、当時についてこう振り返ります。

1997年春、佐藤良成は高校卒業と同時にバンド「プランクトン」を解散しますが、早稲田大学に進学と同時に、すぐに、次のバンドを結成するために、仲間達に声をかけます。
「大学の同級生や、高校の同級生が進学していた和光大学の仲間達に声をかけてバンドを作ったんですが、そのメンバーの中の一人が、佐野遊穂だったんです。彼女は僕より2歳年上なんですが、年の差を感じさせない雰囲気で、すぐに打ち解けてバンドに入って来たんです」。

佐藤良成、佐野遊穂ら6人のメンバーが集まって、1998年、バンド「ハンバート ハンバート」が結成されます。
「バンド名は、ナボコフの小説『ロリータ』に出てくる、ハンバート ハンバート教授から名付けました。
幾つか思いついたバンド名の中で、一番おしゃれだと思って付けたのが、この名前でした。
結成当時演奏していたのは、自分達が作ったオリジナルのアップテンポな、ポップスです。
高校時代は、とにかくボブ・ディランにこだわっていた僕ですが、ハンバート ハンバートを結成前からは、オリジナル曲を作るようになったんです」。

後に、ファーストアルバムに収録されることになる、佐藤良成が18歳のときに作った
 "僕はもう出て行くよ"。
「この曲をはじめ、数曲のオリジナル曲をレパートリーにして、ハンバート ハンバートは、渋谷、恵比寿、そして吉祥寺のライブハウスを拠点に活動していたんです。メンバーみんな学生だったし、音楽優先ではなく、どちらかと言えば、学業の合間をぬって音楽活動をしていたという感じでした」。
そして、結成から1年が過ぎた、1999年の暮れ、佐藤良成は友人の紹介でMIDIレコードのスタッフと出会います。

「他のメンバーがどんな気持ちだったのかは分かりませんが、僕はいつかCDを出してみたいと思っていたので、MIDIレコードの人と初めて会う時に3~4曲入ったデモテープを持っていったんです。
ところが、MIDIレコードのスタッフに、"3~4曲じゃだめだよ。アルバム1枚分10曲ほど作ってこなくちゃ"とあっさり言われたんです。拍子抜けと言うか、何というか。帰ってからすぐに、曲作りに取りかかりました」。

MIDIレコードのスタッフに言われたひと言を胸に、ハンバート ハンバートは一念発起し、曲作りに励みます。しかし、その一方で、大学卒業を控えたバンドのメンバーたちは、就職を理由に、続々とバンドを去っていきます。
「ひと足先に大学を卒業した佐野は、一度は就職したんですが、わずか半年余りで退職し、バンド活動に専念していました。他のメンバーが続々とバンドを去って、気が付いたら、残っていたのは、佐野と僕だけです。僕は、"音楽で勝負したい"と思っていたので、そのまま佐野と活動を続けることにしたんです」。

翌2000年、デモテープを制作中に、佐藤は、一人、ベトナムを訪れます。
「特に目的があった訳ではなく、あてのない、ギターを持っての放浪の旅でした。ある日、ホーチミンのゲストハウスに泊まった時、気晴らしに部屋でギターを弾いていると、"ふっ"と曲のメロディが浮かんできたんです。僕は、曲を意識的に作る時もあれば、無意識に浮かんでくる時もあります。この時は、無意識の内に、メロディが浮かんできたんです。何度も何度も、メロディを書き直し、足りない部分は新たに考えてメロディを作って、完成したのがこの曲です」。

この曲も含めて、全部で9曲を作った佐藤と佐野の二人は、改めてMIDIレコードのスタッフと会って、デモテープを聴かせたところ、見事CD化が決定。佐藤が、ベトナムで作ったこの曲「夜明け」が収められた、ハンバート ハンバートの1stアルバム『for hundreds of children』は、2001年6月にリリースされるのでした。

2001年6月に発売された、ハンバート ハンバートの1stアルバム『for hundreds of children』に収められた「夜明け」。
「1stアルバムは、僕と佐野であれこれ試行錯誤しながら作った作品です。レコード会社のスタッフからは、"いい意味で言えば素朴だけど、悪く言えばまだまだ未熟だ"と言われたけど、今改めて振り返ってみれば、この曲は、どこか懐かしさを感じさせてくれる作りで、フォーク、トラッド、童謡をベースにしている今の僕らの原点とも言える曲に仕上がっているんです。ある意味、この曲があったからこそ、今の僕らが存在しているとも言える曲ですね」。
最後に、佐藤さんはこう語ってくれました。

旅先で浮かんできた素朴なメロディが、個性派ユニット、ハンバート ハンバートの音楽スタイルを
産み落とした瞬間でした。

今日OAした曲目
M1. 雨を見たかい/CCR
M2.風に吹かれて/ボブ・ディラン
M3.僕はもう出て行くよ/ハンバート ハンバート
M4.夜明け/ハンバート ハンバート