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食卓音楽


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2010年10月22日
「僕はここにいる/山崎まさよし」

160回目の今日お届けしたのは、「僕はここにいる/山崎まさよし」でした。

「僕が彼に初めて出会ったのは、1991年7月に行われた映画製作会社「キティ・フィルム」の新人俳優オーディションの最終審査会場でした。新人俳優の発掘が目的のこのオーディションを、彼は新人歌手募集オーディションと間違えて応募してきたんです。"ルックスが可愛い"という理由で九州地区大会に合格した彼は、最終審査に残っていたんです」。後に、山崎まさよしのマネージャーを務める所属事務所の穂刈さんは、当時をこう振り返ります。

1971年12月、滋賀県草津市に生まれた山崎まさよしは、彼が8歳の時に山口県防府市に引っ越しして、地元の中学、高校へ進学します。山崎まさよしは、中学の時に、親からドラムを買ってもらい、友達と見様見真似でバンドを結成。高校に進学すると、エリック・クラプトン、ローバート・ジョンソンなどのブルースを聴き始め、山崎まさよしはギター片手に弾き語りで曲作りを始めます。
「当時、僕は「キティ・レコード」のディレクターで、歌を歌える役者を探す目的で、最終審査の審査員を務めていたんです。オーディション内容を間違えて参加していた山崎まさよしは、後に1stシングルのカップリング曲になる「Rough Rock'n Roll Boggie」を含む2曲を弾き語りで歌って、抜群のリズム感と、力強い声で、僕ら審査員を釘付けにしたんです。このオーディションが新人歌手の発掘目的だったら、彼は間違いなく合格だったんですが、新人俳優募集オーディションだったので、残念ながら審査員特別賞でした」。穂刈との運命的な出会いを果たした山崎まさよしは、地元に戻ってデモテープ作りや、ライブ活動を続けた後、プロミュージシャンを目指して、翌1992年10月に上京します。

「本当は、1993年春に上京して、当時横浜にあったキティ・レコードの寮に入る予定だったんです。
予定よりも半年近く早く、半ば押しかけのような形で上京してくるなんて、よっぽど東京で音楽をやりたくて仕方なかったんでしょうね。こちらも準備が間に合わず、山崎はしばらくの間僕の家に居候していたんです。ところが、契約する予定だったキティ・レコードの経営状態が悪くなったため、僕はキティ・レコードを辞めて、別のレコード会社に山崎を売り込みに行ったんです。お互い生活を切り詰めながら、山崎は創作活動、僕は山崎の売り込みに励み、やっと契約の話がまとまったのが1995年の初めでした。でも山崎にとって、この不遇の時代に、後に彼が歌っていく曲が幾つも生まれていくんです」。

1995年9月、山崎まさよしは1stシングル「月明かりに照らされて」をリリースします。
「抜群のリズム感と、力強い特長的な声、そして卓越したギターとブルースハープのテクニック。彼はブルースとポップスを融合させた彼ならではの音楽を生み出そうと、デビュー後も弾き語りを基本にライブや曲作りに励みました」。

動員が着実に増え続ける中でも、山崎まさよしは彼の音楽の基本である"弾き語り"にこだわりながら、ライブ活動を続けていきます。1996年9月、山崎まさよしは後にSMAPがカバーしてヒットする楽曲「セロリ」を、3枚目のシングルとして発売、初めてセールチャートにランクインして、最高位68位、約3万5000枚のセールスを記録します。そして、翌1997年1月、山崎まさよしは4枚目のシングルとして、彼が主役を務めた映画『月とキャベツ』の主題歌「One more time,One more chance」をリリースするのでした。
「デビュー前に作ったこの曲は、完成した時から歌詞、メロディ、どちらからも力強いメッセージを感じていたので、"J-POPの世界で山崎まさよしの存在が認められ、勝負を賭けるタイミングでリリースしよう"と温めていた曲なんです。映画のキャストオーディション会場で、山崎がこの曲を弾き語りで歌ったら、共演予定の女優がポロポロ泣いたんです。それを見た僕は、"やった。これで主題歌は歌える"そう思ったんです。」。
1997年3月、山崎まさよしは彼の代名詞とも言えるライブで、ある一つの試みにチャレンジします。「この時、山崎まさよしが"もっとお客さんを近く感じるようなスタイル歌いたい"と言い出したんです。
それで僕らは、全ての会場で、弾き語りスタイルのライブを行うツアーを企画したんです。それまでは、東京・大阪など人が多く入る場所ではドラムとベースも加わったバンドスタイル。地方では、予算の問題もあって弾き語りスタイルでのライブがほとんどでした。しかし、場所に拘らず全ての場所で、弾き語りスタイルにすることで、山崎本人の力が試されるし、よりお客さんを近くに感じてもらえると考えたからなんです。結果的に、このライブツアーをキッカケに、彼のライブの真髄とも言える弾き語りが、多くの人達に知られることになりました」。穂刈さんは、当時をこう振り返ります。

そして翌1998年春、2度目の弾き語りツアーを控えた山崎まさよしの下へ、10月からスタートするTVドラマへの出演依頼と、主題歌提供の話が舞い込みます。
「もともとこの曲は、「One more time,One more chance」と同じく、デビュー前に作っていた曲で、「One more time,One more chance」と同じぐらい彼が大切にしていた曲です。彼の心の中でこの2曲は、将棋の駒に例えると"飛者と角"、そんな存在感を持っていた曲で、ライブでも歌っていなかったんです。バラード曲「One more time,One more chance」とは対照的なこの曲は、派手なロックではないけど、聴く人の耳にしっくりと入り込んでいく、弾き語りを得意とする、山崎まさよしの音楽とは何であるかを表すような曲だったんです」。

「この曲を初めて聴いた時、僕等は何故か"この曲はドラマの主題歌に使いたい"と考えてデビュー後も、敢えて封印していたんです。2度目の弾き語りツアーで、シンガーソングライター山崎まさよしの存在感が認められるようになったタイミングで、偶然にも舞いこんだドラマ主題歌提供の話。"ついに時が来た"そう思った僕等は、封印を解いて、この曲を主題歌としてリリースすることを決めたんです」。
1998年10月にリリースされた、山崎まさよしにとって8枚目のシングルとなる「僕はここにいる」は、山崎まさよしが主演を務めた読売系ドラマ『奇跡の人』の主題歌に起用されたこともあり、セールスチャート最高位3位を記録し、約40万枚の売上を記録します。
「デビュー前から、地道にライブ活動を続けてきた山崎まさよしにとって、弾き語りは長年変わらない、彼ならでのオリジナルスタイルであり、彼の音楽の源にもなっているんです。この曲は、長年山崎まさよしのライブに通って、彼の音楽に惚れ込んだ人にとってはダメ押し的な存在に。「One more time,One more chance」で彼を知った人にとっては、ますます彼の虜になるような、そんなシンガーソングライター山崎まさよしを象徴する曲になりました。今では、ライブでは欠かせない曲なんです」。最後に、穂刈さんは、こう話してくれました。

アーティストの唯一無二の存在感を、J-POPの世界に知らしめた名曲が生まれた瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.Rough Rock'n Roll Boggie/山崎まさよし
M2.月明りに照らされて/山崎まさよし
M3.One more time,One more chance/山崎まさよし
M4.僕はここにいる/山崎まさよし