
138回目の今日お届けしたのは、「氣志團/One Night Carnival」でした。
「小学校の頃は、光GENJIに夢中で、ローラースケートで滑りながら歌う、彼らの華やかな
雰囲気に憧れていたんです。中学校に入ったら、バンドブームがやって来て、僕も同級生
5人でバンドを結成しました。バンド名は、当時大好きだったバラエティ番組『とんねるずの
みなさんのおかげです』の1コーナー「ロックンロール最高物語」に出てきた架空のバンド
「矢島工務店」と、メンバーの父親が偶然工務店を経営していたので、そこから「天満工務
店&THEししゃもヘッズ」と名付けました」。
音楽を始めるキッカケについて、綾小路 翔さんは、当時をこう振り返ります。
千葉県木更津市出身の綾小路 翔は、その後、1997年春に、「自分達の故郷・木更津の
良さを、音楽を通して発信したい」というコンセプトの下、友人で、同じ千葉県出身の早乙女 光、
白鳥雪之丞、そして東京都多摩市出身の西園寺 瞳の4人で、バンド「氣志團」を結成します。
「当時、僕達は、他のバンドと差別化するためにインストゥルメンタル音楽ばかり作って、
演奏していたんです。さらに、目立つための何かいいアイディアはないかと色々考えていた
ある日、自分達が、中学生の時に初めてバンドを作った時のような、"ヘアスタイルはリーゼ
ント、ステージ衣装は、学ラン"という格好でステージに立つことを思いついたんです。しかも
演奏する音楽は、その格好からイメージされる横浜銀蠅やクールスではなく、ベンチャーズ
のようなインストゥルメンタル。このギャップで、ライブを観に来た人達に「コイツら一体、何な
んだ」と言う雰囲気を作って、実際、多くの人達から評判を集めることに成功したんです」。
都内のライブハウスを中心に、ガレージ系や、パンクバンド、メタルなど、あらゆるジャンルの
バンドと対バン形式のライブを繰り広げ、少しずつファンを増やしていった氣志團は、1999年、
星グランマニエ、白鳥松竹梅の2人を、メンバーに新たに加え、計6人組となります。そして、
翌2000年6月、氣志團は、インストゥルメンタル曲ばかりを収めた1stミニアルバム『房総与太
郎路薫狼琉』をインディーズから発売します。2001年にはいると、毎月10本以上ライブを行い、
毎回200~300人を集めるようになっていた氣志團は、6月に、当時彼らがライブで演奏し、人
気を集めていたある曲を、マキシ・シングルとして発売。そしてその年の秋、東芝EMIとメジャー
契約を結びます。
東芝EMIとメジャー契約を結んだ氣志團は、デビュー曲を巡って東芝EMIのスタッフと議論を重
ねていきます。
「初めは、僕らのGIGには欠かせない曲を発売したかったんですが、6月に、インディーズからマ
キシ・シングルとして発売したばかりだったので、"半年後に同じ曲を発売するのはまずいだろう"と
いう話になって、改めて曲を何曲か作ったんです。それから、プロデューサーを誰にお願いするの
かということになって、色々候補者の名前が浮上し、その中の一人にユニコーンの阿部義晴さんが
いたんです。僕らも、ユニコーンが好きだったし、阿部さん自身もプロデュース業に興味を持ち始め
ていた時期でもあったので、うまくタイミングがあってお願いすることにしたんです」。
「新曲を4曲ほど作って、どの曲を選ぶか、メンバー間で話しをしたら、今度は意見が分かれてなか
なか決まらない。どうしようか困って考え出したのが「デビューは、必ずしもシングルという形に拘ら
なくてもいいんじゃないか」という結論でした。
さらに、そこで浮かんだのがX JAPANのデビューを真似たデビューのし方でした。X JAPANは
『X現る』というプロモーションビデオを作って、マスコミに配って話題を呼んだんですが、僕らにも、
当時同じようにマスコミ向けに配った『氣志團現象』というビデオがあったので、そのビデオに新曲の
PVや、GIGやインタビューを加えたVHSを発売することにしたんです」。
こうして氣志團は、『氣志團現象』と名付けたVHSビデオを、2001年12月から3ヵ月連続リリースす
るという、異例の形でメジャーデビューを飾ります。
VHSビデオ3ヵ月連続リリースという、異例の形でメジャーデビューを飾った氣志團は、翌2002年3月、
今度はテレビドラマ『木更津キャッツアイ』にメンバー全員がゲスト出演、さらにその1週間後には
NHKの『トップランナー』にも出演し、TVとの相乗効果もあって、それぞれ2万本限定で発売したVHS
ビデオ3タイトル全てが完売。氣志團は、音楽関係者はもちろん、多くの若者達から注目を集める存在
となっていきます。
勢いに乗った氣志團は、さらに、3月30日に東京・代々木公園野外ステージでフリーライブを行い、およ
そ2万人を集客。同じ3月に発売したメジャー1stアルバム『1/6 LONELY NIGHT』も、セールスチャート
初登場3位を記録します。
まさに"氣志團現象"が巻き起こる中、彼らは、メジャーシングル1枚目に、氣志團を代表する曲として、デ
ビュー前から注目されていた曲を発売することを決めます。
「もともとこの曲は、1999年、僕がまだ、フジファブリックの志村正彦らと一緒に、アルバイトをしながら音
楽活動をしていた頃に作った曲なんです。ある日、アルバイト中に、頭の中に浮かんだ、サビのメロディ
がずっと頭の中を駆け巡っていて、その日の夜、バイト仲間と夜通しカラオケに行って遊んだんですが、
明け方、家に帰る時に、暴走族がバイクで走り抜ける所に出くわしたんです。その場面を見た瞬間、自
分の過去の想い出と目の前の現実がオーバーラップして、ずっと頭の中を駆け巡っていたサビのメロディ
に乗せる歌詞が浮かんできたんです」。
「実は、この曲は、すでに作っていた"スカイデストロイヤー・ララバイ"という曲が元歌になっているんですが、
この曲を2つに分けて、1曲は「潮騒の子守唄」という曲にしたんです。そして、もうひとつを、「潮騒の子
守唄」のコード進行で、ディスコ調にアレンジした曲に、アルバイト中に浮かんだサビのメロディをくっつけて
作ったんです。それが、メジャーデビューシングルにもなったこの曲です。当時は、まだインストゥルメンタル
ばかりで、この曲は初めて歌詞をつけて、メンバーに聴かせたんですが、初めは"どうして、俺達がこんな
醜悪な80年代ポップスの焼き直しみたいな曲をやる必要があるんだ"って猛反対されたんです。インストゥ
ルメンタルの曲だけでも、支持を集めていた氣志團に似合わないと思ったんでしょうね。でも、僕は曲の完
成度に、絶対的な自信を持っていたので、"1回だけライブで演奏させてくれ。お客さんの反応が悪ければ、
二度と演奏しなくていいから"と言い切ったんです。実際、ライブ後にアンケートを募ったら、反応が良かった。
それで、他のメンバーも、渋々ライブで演奏することについて、OKしてくれたんです」。
その後、氣志團のライブでは欠かせない曲として成長していったこの曲は、メジャーデビュー直前にインデ
ィーズからマキシ・シングルとして発売されたこともあって、メジャーデビューアルバムには収録されません
でした。「メジャー1stアルバムに、この曲を入れなかったことに対して、色々な人達に"なぜこの曲は入って
いないのか"と言われたんです。それで、インディーズ盤も売り切れになっていたので、改めてレコーディングし、
発売することを決めたんす」。こうして、2002年5月、氣志團は1stシングル「One Night Carnival」を発売します。
2002年5月に、氣志團が発売したシングル「One Night Carnival」は、セールスチャート最高位7位、およそ
2年近くもチャートにランクインし続ける、ロングヒット曲となります。「この曲が完成するまで、見た目とのギャ
ップで勝負するために、インストゥルメンタルばかり演奏していたバンドにとって、この曲が生まれたことによ
って、音楽の幅がより広がって、バンドのアイコンとなったんです。さらに、ライブで演奏し、多くの人達から
支持を集め、今度はバンドを象徴する曲となった。氣志團の進化が、結成していた当時に考えていた以上
のスピードで、大きく加速していくキッカケとなった曲ですね」。
最後に、メンバーの綾小路 翔さんは、こう語ってくれました。
バンドの成長を大きく促すことになった、J-POPの名曲が生まれた瞬間でした。
今日OAした曲目
M1.サマースクール/光GENJI
M2.黒い太陽/氣志團
M3.One Night Carnival/氣志團