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2009年1月30日
「ロマンスの神様/広瀬香美」

第70回目の今日お届けしたのは、「広瀬香美/ロマンスの神様」でした。

「私は、4歳から、ピアノを習い始め、5歳で作曲の勉強もし始めました。どちらも、私自身が興味を持って始めたのではなく、両親の勧めで習い始めたのですが、抵抗感なくすんなりと習うことができました」。1966年4月、福岡県太宰府市に生まれた広瀬香美は、音楽とふれあうキッカケについて、こう振り返ります。

その後、広瀬香美は、地元福岡女学院音楽科を卒業後、国立音楽大学作曲科へ進学。クラシックの音楽家としての道を歩み始めます。「高校から大学、ずっと音楽を学び続けていましたが、大学に入学したある日、アメリカ・ロサンゼルスに旅行に行く機会がありました。そこで、マイケル・ジャクソン、ベビー・フェイス、ボビー・ブラウン、デヴィッド・フォスターなどのポップミュージックに出会い、私の音楽の世界観が変わりました。当時はポップミュージック全盛期で、ロサンゼルスの街の至る場所で、彼らの音楽が溢れていました。また、ちょうど同じ頃、大学の先生から「あなたはクラシックに向いていない」と言われ、悩んでいた時期でもあったので、余計に、ポップミュージックが、私にとって、刺激になりました」。
1988年、国立音楽大学を卒業した広瀬香美は、再びアメリカ渡り、マイケル・ジャクソンのボイス・トレーナー、セス・リッグスの下で、ボーカリストとしてのレッスンをスタートさせます。「学生時代、初めてマイケル・ジャクソンの音楽に触れた時、ポップスの魅力に取りつかれ、少しでも彼に近づきたいと思うようになりました。偶然にも、私の友人が、マイケル・ジャクソンのボイス・トレーナー、セス・リッグスを知っていたので、彼に会い、話をすると、「作曲家になりたいなら、ボーカリストとしてのトレーニングも受けておくべきだ」と、言われ、私は、セス・リッグスの下でボーカルレッスンを受けることにしたんです」。

約3年間、マイケル・ジャクソンのボイストレーナー、セス・リッグスの下でボーカル・レッスンを積んだ広瀬香美は、帰国後の1992年7月、ボーカリスト広瀬香美として、アルバム『Bingo!』でデビューを果たします。
1992年7月、アルバム『Bingo!』でデビューした広瀬香美。「元々私は、ボーカリストではなく、色々なアーティストの方々に、私が作った曲を提供し、歌ってもらうのが夢で、作曲家を目指していました。しかし、セス・リッグスに出会って、気がついた時には、私自身がボーカリストとしてデビューすることになっていました。人間、何があるか、分かりませんね。でも、自分がボーカリストとしてデビューすることが決まってからは、「自分の歌を聞いた人が元気になる、明るい曲を作り、歌いたい」、そんな気持ちになりました」。

アルバム『Bingo!』でデビューした広瀬香美は、12月に、1stシングル「愛があれば大丈夫」を発売。この曲は、12月に公開された映画『病は気から 病院へ行こう2』の主題歌として起用され、セールスチャート最高位42位、約11万枚の売上を記録します。

「デビューが決まった後から、ずっと、私は、自分自身に根拠のない自信を持つように心がけていました。
“私の歌で、世の中の人達を元気にしなくちゃ、いったい誰がみんなを元気にするの”、と、常に自分自身に言い聞かせていました」。
音域の広い歌声と、キャッチ—なメロディで、広瀬香美は次第に話題を集めるようになり、1993年3月リリースしたアルバム『“good luck”』は、初めてセールスチャートにランクインし、最高位50位、約2万6千枚の売上を記録します。そして、5月には、2枚目のシングル「二人のBirthday」を発売します。

1993年5月、デビューから約1年が経ってリリースされた、2枚目のシングル「二人のBirthday」。
「デビューから、1年が経ち、改めて振り返った時、私は、恵まれた音楽生活を過ごすことができているな、と思いました。自分がやりたいこと音楽に対して、スタッフから路線変更を命じられたり、反対された経験もほとんどありませんでした」。
そして、1993年、夏のある日、スポーツ用品専門店「アルペン」から、冬のキャンペーンソングへの曲提供の話が彼女の下へ舞い込みます。
「中学、高校時代、私は、メロディが頭の中に浮かんだ時、テストの答案用紙の裏側や、教科書、ノートはもちろん、喫茶店の紙ナプキンなど、とにかく目の前にある紙に片っ端から浮かんだメロディを書きこむ癖がありました。この曲は、中学時代、福岡の井尻交差点で信号待ちをしている時に浮かんだメロディでした。慌てて家に帰り、すぐに楽譜に書き留めました」。広瀬香美は、メロディが浮かんだ時の様子について、こう振り返ります。

「この曲もですが、中学時代に浮かんだメロディは、躍動的なものが多く、今でも、たまに引っ張りだして使うことがあります。この曲は、先に曲が完成。曲の中で、二回転調していますが、きれいに転調しているので、さらっと聴くと、あまり転調していない感じがするので、実は私のお気に入りの曲でもあるんです」。
「曲が完成し、次に歌詞を作る段階になった時。私は、あまり普通に人が使わないような、個性的な歌詞になるように気をつけました。例えば、サビの部分、「ロマンスの神様 ありがとう」という歌詞が浮かんだ時には、自分でも手応えを感じました。聴いた瞬間、耳に引っ掛かりのある歌詞にしたかったんです」。
広瀬香美自身も、曲の完成度に自信を掴んだ、3枚目のシングル「ロマンスの神様」は、1993年12月に発売されます。

1993年12月に発売された、広瀬香美3枚目のシングル「ロマンスの神様」。その年1993年、スポーツ用品専門店「アルペン」の冬のキャンペーンソングとして起用されたこの曲は、セールスチャートで5週連続1位を獲得、約175万枚の売上を記録するヒット曲となります。「デビューから約1年半。それまで広瀬香美の存在を全く知らなかった人にも、この曲「ロマンスの神様」で存在を知ってもらうことができました。また同時に、“広瀬香美=冬”というイメージを定着させ、いつの間にか私は、「冬の女王」とまで呼ばれるようになりました。家族から、「電車の中で「ロマンスの神様」を口ずさんでいる人を見かけたよ」と言ってもらった時に、初めて実感として嬉しさがこみあげてきたのを今でも覚えています」。

聞く人に元気になってもらいたい、と言う彼女の願いが込められた、J-POPウィンターソングの名曲が誕生した瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.今夜はビート・イット/マイケル・ジャクソン
M2.愛があれば大丈夫/広瀬香美
M3.二人のBirthday/広瀬香美
M4.ロマンスの神様/広瀬香美