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2008年1月25日
「さよならのオーシャン/杉山清貴」

「曲を書いている最中に、事務所の社長から電話があって「曲はできてるか?今度、新しいオメガトライブ作るんだよ。そっちはもう楽曲はできているから。最高だぞ」って言われて、「えっ!?」って。ちくしょー!って感じですよね」

杉山清貴本人のコメントでスタートした、第17回目の今日紹介したは、杉山清貴『さよならのオーシャン』
でした。今回は、アーティスト本人のコメントを交えての番組でしたが、いかがでしたでしょうか?

1979年、横浜に、TOTOやジャーニーといった当時流行のウエストコースト/AOR系のサウンドをカバーしていた6人組のアマチュアバンド「きゅうてぃぱんちょす」がいました。「きゅうてぃぱんちょす」は当時のアマチュアバンドが、メジャーデビューへの足がかりをつかむために競っていた「ヤマハ ポピュラーソングコンテスト」通称「ポプコン」第18回大会に出場します。「きゅうてぃぱんちょす」は、惜しくも入賞を逃しますが、翌年1980年5月に行われた「ポプコン」第19回大会にも再び出場。ボーカルの杉山清貴が作詞・作曲した楽曲「GOSPELの夜」は、見事入賞を果たし、「きゅうてぃぱんちょす」の元に、念願のメジャー・デビューの話が舞い込みます。

メジャー・デビューのチャンスをつかんだ「きゅうてぃぱんちょす」でしたが、自分たちの楽曲の完成度に納得することができず、自らメジャー・デビューの話を断ってしまいます。メンバーたちは、「どうすれば、自分たちが納得できる音楽で、メジャー・デビューができるか?」を考え、東京や横浜のライブハウスを中心とした活動をスタートさせます。そんな「きゅうてぃぱんちょす」を、ずっと見守り続けていたひとりの人物がいました。

音楽プロデューサー藤田浩一は、「ポプコン」第19回大会で「きゅうてぃぱんちょす」が入賞した時に出会い、その後のライブハウスでの活動で、バンドがどれだけ成長していくのかを見ていました。そして藤田浩一は、「きゅうてぃぱんちょす」のオリジナル曲ではなく、プロの作曲家が作った楽曲を歌うなら…という条件で彼らをメジャー・デビューさせます。「きゅうてぃぱんちょす」は、「杉山清貴&オメガトライブ」と名前を変えて、1983年4月にシングル「SUMMER SUSPICION」でデビューします。
「夏」「海」「リゾート」をキーワードにした楽曲を続々とリリースした彼らの楽曲と、時代がもとめていたものとがうまくリンクし、テレビのヒットチャート番組には欠かせないバンドに成長していくのでした。

1985年3月リリースの「ふたりの夏物語」は航空会社のCMソングに、5月リリースの「サイレンスがいっぱい」はドラマの主題歌としても使われ、杉山清貴自身も多くの女性ファンの支持を集めていきます。しかし「杉山清貴&オメガトライブ」は、レコーディングやツアーで多忙を極め、プロの作曲家が作った楽曲ばかりを歌い、なかなか自分たちのオリジナルを歌えない、もどかしさを覚えていきます。
「このままでいいんだろうか?」。「杉山清貴&オメガトライブ」は、これからの方向性をメンバーで議論し、ひとつの結論を出します。1985年秋、人気絶頂だった彼らが選んだ答えは「解散」でした。

「アマチュア的発想なんですけど…。レコード会社があって、事務所があって、契約があって、何にも知らない訳ですから。解散したら、そこで全部無くなるもんだと思っていたんですね。少しのんびりして、それからアマチュア時代に使っていた練習スタジオ行って、「メンバー募集」という張り紙張って、バンドを組もうって普通に思っていたんですね。バンドを12月に解散して、1月中旬ぐらいかな…。当時のディレクターから電話がかかってきたんですよ。「ソロやるから、楽曲書けって」。でもその時は、「ソロって何ですか?」というぐらい、ソロの意味が分からなかったんですよね。杉山清貴の単ピンの意味が分からなくて。自分はバンドをやりたいって言っても、もうソロの企画が出ているから、と。現実が見えましたね、その時。こういう世界なんだって」

考えてもいなかった、ソロ活動。マイペースでの再スタートを考えていた杉山清貴は、いきなりソロデビューという大波にひとりで放り出されてしまいます。
「とりあえず、楽曲を書かなきゃ。オメガトライブの時代は、林哲司さんが作っていて。ヒットメーカーが作った後に自分で書け!って言われてもね。ちょっと待ってくれよ・・・という感じですよね。でもそこで林さんに頼む訳にはいかないし、自分で頑張ってみようかなと思ったんですね。そしてその頃、作ってみたかったスタイルの楽曲を書きはじめたんです。それが「さよならのオーシャン」なんですけど、何日かかったのでしょうかね。作って持って行ってはダメ出し、そしてまた作って持って行ってはダメだし。ほとんど後半は泣いていましたね」

「曲を書いている最中に、事務所の社長から電話があって「曲はできてるか?今度、新しいオメガトライブ作るんだよ。そっちはもう楽曲はできているから。最高だぞ」って言われて、「えっ!?」って。ちくしょー!って感じですよね。でもオメガトライブはプロジェクトだから。僕のものではなかったし。でも、こっちは楽曲できてるぞって言われると、悔しくて、じゃあ俺も頑張らなきゃって、そこから本気入りましたね」
バンドを通して成長してきた杉山清貴が、男の意地をみせて、ソロアーティストとしてひとり立ちをするきっかけを作ったJPOPの名曲の誕生でした。


「今の自分を考えると大正解だったような気がします。どんなメンバーが集まるんだろう、どんなバンドを組んだんだろう、って過去の推測をするのも楽しいですけど…。あの時、無理やり後ろを叩かれてアーティストとして動きだしたおかげで、今の自分があると思っています」と、杉山清貴さんは最後に答えてくれました。

今日OAした曲目
M1.お気に召すまま/ジャーニー
M2.GOSPELの夜/きゅうてぃぱんちょす
M3.ふたりの夏物語/杉山清貴&オメガトライブ
M4.さよならのオーシャン/杉山清貴