
127回目の今日お届けしたのは、「YUKI/JOY」でした
「彼女と初めて出会ったのは、確か1992年でした。当時僕は、新人を発掘するSDオーディションのスタッフで、JUDY AND MARYのライブを観る機会があったんです。エネルギッシュなJUDY AND MARYのライブは、強く印象に残りました。翌年に、僕はTVの音楽番組「VIDEO JAM」の収録スタジオで、デビュー直前のJUDY AND MARYに再会したんですが、初めて会った時と変わらないエネルギッシュさに加え、聴く人に強く伝わる力を持った彼女のボーカルに、改めて魅力を感じました」
後に、JUDY AND MARY、そしてYUKIの担当プロデューサーを務めた玉田さんは、こう振り返ります。
1992年2月、北海道で、短大に通いながらレベッカのコピーバンドのボーカルとして活躍していたYUKIと、ヘビーメタルバンド「JACKS’N’ JOCKER」のメンバーとして既にデビューしていた恩田快人の二人を中心に、バンド「JUDY AND MARY」は結成されます。その後、JUDY AND MARYは、ドラマーの五十嵐公太、ギターのTAKUYAの二人を加え、4人組バンドとして、1993年9月に、シングル「POWER OF LOVE」でデビューします。
キャッチーなメロディ、個性溢れるYUKIのボーカル。JUDY AND MARYは、1994年12月に発売した2ndアルバム『Orange Sunshine』が、セールスチャート初登場5位を記録し、一気にブレイク。さらに、1996年2月に発売したシングル「そばかす」が100万枚を超える売上を記録し、人気バンドへと成長していきます。
「JUDY AND MARYのデビュー後、しばらくして僕はエピックレコードへ異動し、1995年からJUDY AND MARYの制作チームに加わったんです。当時のYUKIは、JUDY AND MARYの曲の歌詞を書いていましたけど、あくまでバンドのボーカル、そしてバンドの広報的な役割が中心で、その役割をきっちりと果たそうとしていました」。
玉田さんは、当時についてこう振り返ります。
その後も、順調に活動を続けていたJUDY AND MARYでしたが、1999年に1年間、バンドとしての活動を休止。
YUKIは、活動休止期間中に、アメリカのロックバンド「B-52’s」のメンバーとバンド「NiNa」を結成。さらには、charaとのユニット「chara+yuki」を結成するなど、精力的に活動します。
2000年、JUDY AND MARYは活動を一度は再開しますが、翌2001年3月に、解散を発表。
YUKIは、その年秋に、charaや、ちわきまゆみらと結成したガールズロックバンド「Mean Machine」のシングルとアルバムの発売と並行して、ソロデビューの準備にも取り掛かり、2002年2月に、シングル「the end of shite」でソロデビューします。
2002年2月、シングル「the end of shite」でソロデビューを果たしたYUKI。
「ソロデビューしたYUKIの中で大きく変わったのは、責任感です。歌詞を書くことはもちろん、音楽の方向性、ビジュアルの見せ方など、JUDY AND MARY時代は1/4の責任でよかったけど、ソロになると全部の責任を背負わなくちゃいけない。当然の事なんですが、責任感が強くなっていくことで、彼女が書く歌詞にも微妙な変化が生まれました」。
「具体的には、JUDY AND MARY時代よりも、YUKIの内面的な部分がより歌詞に描かれるようになりました。ヒットチャートを意識した曲を作って、歌詞を書くことよりも、まずは、どう自分が楽しめるのか、この点にポイントを置いてメロディを作っていました。また、彼女が感じた事をどう言葉にするのか。歌詞作りにも、彼女は常に変化を求めて、挑戦していました。レコーディング中でも、納得いかない歌詞があると、スタジオの中で歌詞を直すことも度々あったんです」。
玉田さんは、当時についてこう振り返ります。
2002年2月に、ソロデビューを果たしたYUKIは、その年だけでもシングル4枚、アルバム1枚を発売し、精力的に活動していきます。その中でも特に、11月に発売した4枚目のシングル「スタンドアップ!シスター」は、その後のYUKIの方向性を象徴する曲として、多くの女性から共感を集めることになります。
2002年11月に発売した、YUKIの4枚目のシングル「スタンドアップ!シスター」は、優しくも強く生きる一人の女性の生き様を書いた曲として、多くの女性から共感を集めます。
「この曲は、YUKIが自らを奮い立たせる意味を込めて作った曲でもあるんです。彼女自身、一人の女性として感じた、恋愛、女性の自立などの生き様を、世間と対峙する形で書いていました。女性ソロボーカリストとしてのポジショニングを、この曲で確立させようとしていたんです」。
翌2003年、YUKIは僅か2ヵ月間に2枚のシングルとアルバムを1枚発売しますが、出産のために一時活動を休止。翌2004年8月に、シングル「Home Sweet Home」でおよそ1年半ぶりに活動を再開します。
「2003年にアルバム『commune』を発売した直後に、すでに骨格を作っていた曲が1曲あったんですが、もともとこの曲は、タイアップ曲になる予定でデモテープを作ったものだったんです。ところが、曲とタイアップテーマが合わず、タイアップの話が見送りになったんです。
ただ、曲の完成度は高く、力強いエネルギーも感じていたので、「この曲は絶対に売れる」と、みんな確信していたんです」。「その確信の根拠は、YUKIが書いた歌詞でした。どんな困難に出会っても、素直に強く生きていこうとする女性の姿を描いた歌詞は、まるで人生論でした。この強いメッセージは、女性からの共感を得ることができる、そう思ったんです。
だから、この曲を発売するなら、ノンタイアップでも構わない。アルバムを発売する時に、YUKIを象徴する曲として売り出そう、という話になったんです」。
プロデューサーを務めた、玉田さんは、当時をこう振り返ります。
こうして、曲の完成から、1年近くも経った2005年1月に、9枚目のシングル「JOY」は、満を持して発売されます。
2005年1月に発売された、9枚目のシングル「JOY」。
「彼女は、JUDY AND MARY時代からずっと、どの曲も、その時彼女が持っている100%の力で、妥協せずに歌詞を書いてきました。この曲も、同じです。しかし、この曲が他の曲と違っていたのは、曲のタイトル「JOY」が表す、「喜び、幸運、成功」というポジティブなイメージと、女性の人生模様を書いた歌詞の内容がシンクロして、聴く人へ、メッセージとして巧く伝わったという点です。その結果、曲を聴いた多くの人たちが、YUKIによりいっそうの共感を覚え、彼女を代表する曲として認知させることになったんです」。
最後に、プロデューサーを務めた玉田さんは、こう答えてくれました。
個性的かつポップなソロアーティスト・YUKIの存在感を決定付けた、J-POPの名曲が誕生した瞬間でした。
今日OAした曲目
M1.そばかす/JUDY AND MARY
M2.the end of shite/YUKI
M3.スタンドアップ!シスター/YUKI
M4.JOY/YUKI
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